地球の三角、宇宙の四角。
***

ドアをこじ開けると、照明はついていなかった。

薄暗く、物音ひとつしない部屋。だからなのか何か懐かしい匂いが男の鼻孔を鮮明につんざいた。

男は慌てるように奥へと歩みを進めると、そこには醤油にまみれた裸の老人が横たわっていた。

老人に駆け寄った男は「しょうぞうさん!」と、名前を叫びながら老人を抱き起こした。

すると、醤油はさらさらと深く刻まれた老人のカラダの皺をつたって流れ出した。

醤油は老人を抱きかかえた男の太い腕へと伝い、つやつやの肌に球のようになった醤油が幾つも、まるで流れ星のように流れた。

「もう、わしにかまわんといてつかぁさい」

擦れたチカラのない老人の声は、震えていた。

赤い蓋のついたガラス容器の瓶を手に取り、老人は頭の上にそれをかかげた。

一本の黒い筋が頭の上へと落ちて、小さなしぶきを上げながら老人をさらに黒く染めあげていった。

「もう、わしにかまわんといてつかぁさい」

もう一度そう言う老人の瓶の持つ腕を、男はグッと掴んでから捻るようにして更に力を込めた。

男の顔は泣いているように見えた。

「痛い」

手にしていた瓶がフローリングに落ちて、醤油をこぼしながらくるくると回った。

「そうだよ! 痛いんだよ!」


惚けた顔で老人は男の目を見つめた。


男は続けて言う。

「しょうぞうさんは病気なんかじゃねぇんだよ! いつまでも逃げてんじゃぁねぇよ!」

男は老人を力任せに殴った。なにをするんじゃという声もお構いなしに何回も殴りつけた。

「痛い。痛い」

「そうだよ! 痛てぇんだよ! なぐられると痛てぇんだよ」

男の声は涙声になった。

「もっと痛いって言えよ! もっと俺のことを見ろよ! ちゃんと見てくれよ! 痛いんだろう? もっと痛いっていえよ」

「痛い。 痛い」

老人は両手で顔を覆った。そのガードの上から男は、おかまいなしに殴る。

やわらかい骨と堅い骨が当たる音がする。

老人は地面に顔をつけて完全に丸くなって、うずくまった。
それでも、耳や後頭部、側頭部目がけて何発も拳を当てた。男は殴るのを止めない。

老人は耳や後頭部を手で押さえ、その押さえた手の甲をねらって男は殴った。

パキッと乾いた音がして、老人は大きな悲鳴を上げた。


殴り疲れたのか男は着ていたシャツを脱いで老人の顔と頭をくしゃくしゃと拭いた。

「醤油で、べしゃべしゃじゃねぇか。なにやってんだよ」

男は泣いていた。

「ごめん」

と、老人は、拭かれながら言った。 



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