barqueにゆられて
翌朝、出勤した私は一番に古橋さんのデスクに近づいた。彼は既に出勤していて、パソコンの画面を開いてコーヒーを啜っていた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
彼はこちらに顔を向けて挨拶を返してくれた。これといった表情はない。
うん、これが普段の彼なのよ、昨日の微笑みも素敵だったけれど。
「昨日はご馳走様でした」
「いや、誘ったのはこちらだ。俺の方こそ、付き合ってくれてありがとう」
「い、いいえ…」
くるり、と椅子を回してこちらに身体ごと向き直ってくれた古橋さんに、何故か私は驚いてしまって挙動不審になってしまった。すると彼は小さく息を吐いて、僅かに困ったような表情を浮べる。
「やはり昨日の店に行ってから少し様子がおかしいな。他に何かあったのか?」
ここですぐに、何もありませんよ、って言えばよかったのに、私はバカ正直だから嘘を吐くことが下手くそ。聡い古橋さんにはすぐに気付かれてしまう。
「言えよ」
「……その、」
「ああ」
「昨日のお店のマスターは…」
「? ああ、ヤツがどうした?」
言えって言うから、言おうって思って口を開いたけど……途中でやめるなんてこと、もう出来ないよね…。これってもう後戻りできない感じだよね…。
嫌われる覚悟、というか、気付かれる覚悟で、私は言葉を続けた。
「古橋さんの、カノジョさん、ですか…?」
「………ふ」
俯かせていた視線を上げると、古橋さんの眉間には今まで見たこともないくらい沢山の皺が寄っていた。
そして。
「ふざけるなあぁ!!」
「えぇえ!?」
椅子をひっくり返して立ち上がった彼は私の胸倉を掴んだ。
怖い怖い怖いよ!! 超怖いんですけど!!
「アイツは男だ!!!」
「……っはあ!?」
「男だ、正真正銘の男だ! 顔の綺麗さに騙されるな!」
「………」
完全に開いた口が塞がらない。
古橋さんは息を切らし、そして深く息を吸い込み、それを大きく吐き出して椅子を元に戻して座り直した。
私はその場にへなへな、と座り込み、鼻の奥がつん、となるのを感じながら声を絞り出した。
「な、んだぁ…」
「?」
「よかったぁ……」
頭上から再び、古橋さんの大きな溜め息が聞こえた。
1.古橋と壱岐 END