きみを奏でる僕の指先。


「…でも、今みたいに泣くのも大切だと思いますよ」


彼の声にハッとした。


思い出したくない残像を振り払う。



「何か悲しいことを思い出して泣いたんでしょ?

我慢は身体に良くないし、

大人だろうが、たまには子どもみたいに声をあげて泣いたって、良いと思いますけど僕は」




…悲しいんじゃない。



悲しいとかさみしいとか、そんな感情なんてない。



あるのは、絶望と憎悪。




あんな男のために泣きたくない。


涙など流したくない。


…いや、実際今まで流れなかったのだ。


だからどうして、突然涙が流れたのか不思議だった。



不幸になればいい。


周りの目を気にしながら、一生後ろめたさを抱えて生きていけばいい。


いっそ心中でもすればいいって…


そんなことばかり考えて、


私は自分の感情に、蓋をしてきたのだから。






「明日は、もっと楽しい曲を弾くよ」


「え?」


私が音楽室の鍵を締める横で、彼はそう言った。


「もっと明るくて、思わず踊りたくなるような…

うーん、何が良いかなぁ…」


「良いわよ、どうせ曲名もわからないし。それに、私踊れないから」


私はなんだか可笑しくなって笑った。


彼の前で泣いてしまったのは不覚だったけれど、


彼は私の涙の理由を深くは聞いてはこなかった。



もしかしたら、知っているのかもしれない。



知っているからこそ、何も聞かずにいてくれたのかもしれない。



…同情なんていらない。



だけど、彼の奏でる音はやっぱり優しくて、



彼の腕は思ってた以上に暖かくて…





私は何故か、また涙が出そうになった。













< 9 / 26 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop