桜の咲く頃に
プロローグ

一周忌 1月14日

 晴れた日の昼下がり、遊歩道を逸れて森に踏み込もうとしている若者がいた。
「お一人ですか?」
 いきなり声を掛けられ、驚いて後ろを振り向くと、そこには気味が悪いほどにこやかな笑みを浮かべている老人の姿があった。
 自殺防止パトロール中のボランティアらしい。萌黄色のリボン形のバッジをしている。
「私は大丈夫ですから……車で来ました。あそこの道路脇の空地に停めてあります」
 元気な声が返ってくると、老人の顔から笑みがすっと消えた。
 この笑顔なら死なないだろう。
「呼び掛け看板見ましたか? これもどうぞ」
 チラシを見せながら活動の趣旨を説明した。
「遊歩道から外れると足場が悪いから、十分気を付けてください。あっちこっちに溶岩の割れ目があるし、木の根っ子だらけだし……おまけに、おととい降った雪がまだ残ってるから……日を改めて出直したほうがいいかもしれませんねえ」
 若者は無言でうなずく。
 別れ際に、老人が聞いてきた。
「今日は有給休暇を取ったんですか?」
「いえ、僕普通のサラリーマンじゃないので、今日は公休日だから……妹が行方不明になって今日でちょうど1年目なんです。この森で目撃されたのを最後に消息を絶ったらしいので、彼女が好きだった桜の花を手向けに来ました。まさか枝を折れないので、この時期落ちてる花びらを拾い集めるのに苦労しました」
「あ、そうですか。お弔いですか?」
 老人は表情を曇らせた。
 まだ昼間だというのに、森の中は薄暗かった。頭上では枝が複雑に絡み合い、覆いかぶさるようにして、陽光を遮っていた。
 ひと足ごとにサクサクと音がする。雪がうっすらと地面を覆っていた。
 遊歩道や看板が見えなくなると、東西南北どの方角を見ても密集した樹木しかなく、特徴のない似たような風景が続いている。
 足場が悪くまっすぐ進めないこともあり、どこから入ってきたのかさえわからなくなって、途方に暮れてしまった。
 
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