桜の咲く頃に
「ところで、立花君、最近この駅の公衆トイレでおやじが暴行受けてるよな」
 立花が湯呑みに口をつけたところを見計らって、小畑はおずおずと切り出す。
「あ、先週、駅員がトイレで意識を失って倒れてるおやじを偶然発見したんっすよね。新聞にも出てましたよね。救急隊員が到着したときには、既に事切れてた、心臓発作で。元々心臓が弱かったらしいっすね」
「……それが、例の個室であったらしいんだ……」
 話題にするのをためらうかのように、声を潜める。
「え、と言うことは、そのおやじは相当酔ってたか、よそ者ってことっすか……普通の人間だったら……」
 そこから先を言い淀んだ。お茶をすする手が止まっている。
「……入らないよな……藪をつついて蛇を出すようなことはしないよな……ここだけの話だけどな、もう一人あのトイレでこっぴどくやられてるおやじがいるんだけど、こっちのほうはそれほどの騒ぎにはならなかったんだ。金品も取られてないそうだし……」
「それじゃ一体何が目当てなのかわからないっすよね」
「公衆トイレを舞台にした新種のおやじ狩りかもしれんな。被害届を出すおやじがいないもんだから、公になってないだけで……」
「なんで訴えないんでしょうかねえ?」
「……もしかするとな、案外おやじらが何か後ろめたいことやってるもんだから、訴えようにも訴えられないんじゃないのかなあ?」
 小畑の眼差しがいつになく真剣みを帯びている。
「え」
 立花は一瞬虚を突かれたような顔を見せた。
「立花君、ちょっと考えてみてくれよ。おやじが駅のトイレでやるわるさっていえば……」
「……盗撮とか、痴漢、強姦……だとしたら、性被害を受けた女の子たちの逆襲?」
 言いにくそうに視線を合わせずに言った。
「……まあ、強姦は未遂に終わってるかもしれないけどな。女の子がやられる前に助けに入ってる奴がいるのかもしれない。周りの人間が助けを出さなきゃ、痴漢されても、怖くて声も出せない女の子は、やられるままにやられるしかないだろう。もし第三者が関わってるとしたら、証拠写真とかも撮ってて、ネットでばら撒くぞと、おやじを脅してるかもしれないな」
「小畑さんの推理もたいしたものっすね。おやじらも女の子たちも訴えないから、警察も動かない。真相も闇のままってことっすよね」
「……ただ一つだけどうしても腑に落ちないのは、朝ラッシュ時間帯は俺らまだ勤務中だから、巡回の隙をついての犯行になるってことだ……防犯カメラには何か映ってるかもしれないけどな」
 小畑はぽつりと呟いた。
「じゃ、ちょっと失礼します」
 急に立花が立ち上がる。
「トイレか?」
「いいえ、ちょっと電話を……」 
 携帯を手にしてこそこそ出ていく。
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