桜の咲く頃に
 ダッフルコートを着込んだ牛乳瓶底めがねのオタク男、黒いコートを身にまとったゴスロリガール、ワンピースの上にモッズコートを羽織った女子大生風の女の子、ブラックのピーコートに身を包んだ若者……どうってことのないいつもの車内風景だ。
 ただ自分のどちら側を見ても、誰も座っている者はいない。
 身も凍るような戦慄が全身を駆け巡った。
 このものたちは一体……?
 悲鳴を上げたくても、そんなことをすればさらに恐ろしいことが起こるような気がして、怖くてできない。
 恐る恐る前方に視線を戻すと、車窓に映っているものたちに変化が現れていた。
 全員顔からすっかり血の気が失せている。蒼白を通り越して真っ白だ。頭から血をだらだら流したり、苦痛に顔をゆがめるものもいる。
 もしかしたら、自分と何らかの因縁がある、浮かばれないものたちなのかもしれない。
 でも、目を凝らしてよく見ても、見覚えのある顔は一つもなかった。
 怖くて、怖くて隣の車両に移ろうとしても、金縛りに遭ったかのように立ち上がることすらできない。そのまま目をつぶっているしかなかった。
幾つかの駅に停車した後、駅名を確かめるため目をそっと開けたときに窓ガラスに映っていたのは自分一人だった。同時に足の自由も戻っていた。
 電車を乗り継いで、さらに幾つもの駅に停車した後、ようやく下車駅に到着した。
 日付けが変わろうとしていた。

 改札を出ると、すぐ目の前にミニ駅ビルが見えてきた。
2階に掛かっていた老舗喫茶店の看板が見当たらない。
 いつの間に撤退したのだろう?
 その代わりに、見慣れないオレンジ色の看板が見える。
 知らないうちに、カラオケ店が出店していた。
 他にも幾つか見覚えのない看板が、ビルの側面に掛かっている。
 見上げていた視線を下ろすと、いつの間にか円形の花壇ができていた。
 パンジーが色とりどりの花を咲かせている。  
 ほんの数日間で駅周辺の様子がすっかり変わってしまうなんて、信じられない!
 何かパラレルワールドに迷い込んだような、不思議な感覚に襲われる。
 駅から離れるにつれて、次第に街灯が少なくなり、人通りもまばらになってきた。
 薄暗い通りを少し心細い気持ちで歩いていくと、その先にそこだけ煌々と明かりがついているコンビニがあった。
 ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、金髪・茶髪の若者4人が、店の前の駐車場にたむろしていた。
 自分を見逃してくれることを祈りながら前をすばやく通り過ぎようとしたとき、恐れていたことが現実になってしまった。
「ねえ、彼女、もしよかったら、今からちょっとカラオケにでも……駅前に深夜営業の店あるから……」
 背の高い金髪男が近づいてきた。
 ついさっき看板が見えたあの店のこと言ってるのかしら? どうしよう?
 胸が激しく鼓動する。
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