桜の咲く頃に
階段をよろよろ上がって自室のドアを開けたところで、阿梨沙はその場に凍りついた。
他人の部屋を見ているような違和感を感じて、どうにも落ち着かない。
壁の見慣れないカレンダーを見て、一瞬我が目を疑った。
まだ3月なのに、もう来年のカレンダーが貼ってあるなんて!
まさか自分が知らないうちに、1年が過ぎてたって言うの! それじゃ自分はこの1年間どこで何をしてきたんだろう? 記憶が消えている……。
今自分が立っている床が崩れ落ち、自分を囲んでいる壁が、白いカーテンの隙間から忍び寄ってくる深い闇の中に、溶け込んで消えていくような恐怖に襲われた。
「ちょっと、阿梨沙、ご飯食べる? 食べるんだったら、温めるよ。お風呂入るんだったら、残り湯捨てないでね」
突然階段の下から聞こえてきた声に、はっと我に返る。
着ていたコートをハンガーに掛けようとクロゼットの扉を開けた。
中には、着慣れた服に混じって自分のものとは思えない服が掛かっていた。
ふと机の上を見ると、柔道部の写真が数枚飾られている。
え、いつの間に黒帯を取ったんだろう?
自分一人だけじゃなくて、同期部員のほとんどが黒帯を締めている。でも、昇段試験を受けた記憶もなければ、黒帯を巻いた記憶もない。
閉じられたノートパソコンの上に、涼平の一周忌の案内状が置いてあった!
慌てて手に取って見ると、法要は5日前に終わっていた。
生まれて初めて自分をさらけ出せたあいつはもういない。
阿梨沙の頬を生暖かいものが伝っていく。1年前のあの日流せなかった涙が、黒いカーペットに染み込んでいく。
目覚まし時計の時を刻む音が すすり泣きにかき消される。
どこにそんなに溜まっていたのかわからないほど、涙は止め処なく溢れ出た。
やがてそれが枯れた頃、この現実感のない空虚な世界に、たった一人取り残されたような寂しさが襲ってきた。体から何かが抜け落ちていくような虚脱感が、全身を包み込んでいく。
霧が掛かったようにぼんやりした意識の中で、阿梨沙は使い慣れたノートパソコンの前に腰を下ろし、指を動かしていた。1年前の事件をネットで検索しようとしているのだ。
何故かネットでも新聞でも事件の記事を読んだ記憶はなかった。実際に何があったのか、そして、涼平が救急車で運ばれた後どうなったのか突き止めたい衝動に駆られていた。
「高2男子が飛び降り死亡桜木県・桜庭市」という見出しで事件の翌日、平成21年3月10日付けの記事が見つかった。
他人の部屋を見ているような違和感を感じて、どうにも落ち着かない。
壁の見慣れないカレンダーを見て、一瞬我が目を疑った。
まだ3月なのに、もう来年のカレンダーが貼ってあるなんて!
まさか自分が知らないうちに、1年が過ぎてたって言うの! それじゃ自分はこの1年間どこで何をしてきたんだろう? 記憶が消えている……。
今自分が立っている床が崩れ落ち、自分を囲んでいる壁が、白いカーテンの隙間から忍び寄ってくる深い闇の中に、溶け込んで消えていくような恐怖に襲われた。
「ちょっと、阿梨沙、ご飯食べる? 食べるんだったら、温めるよ。お風呂入るんだったら、残り湯捨てないでね」
突然階段の下から聞こえてきた声に、はっと我に返る。
着ていたコートをハンガーに掛けようとクロゼットの扉を開けた。
中には、着慣れた服に混じって自分のものとは思えない服が掛かっていた。
ふと机の上を見ると、柔道部の写真が数枚飾られている。
え、いつの間に黒帯を取ったんだろう?
自分一人だけじゃなくて、同期部員のほとんどが黒帯を締めている。でも、昇段試験を受けた記憶もなければ、黒帯を巻いた記憶もない。
閉じられたノートパソコンの上に、涼平の一周忌の案内状が置いてあった!
慌てて手に取って見ると、法要は5日前に終わっていた。
生まれて初めて自分をさらけ出せたあいつはもういない。
阿梨沙の頬を生暖かいものが伝っていく。1年前のあの日流せなかった涙が、黒いカーペットに染み込んでいく。
目覚まし時計の時を刻む音が すすり泣きにかき消される。
どこにそんなに溜まっていたのかわからないほど、涙は止め処なく溢れ出た。
やがてそれが枯れた頃、この現実感のない空虚な世界に、たった一人取り残されたような寂しさが襲ってきた。体から何かが抜け落ちていくような虚脱感が、全身を包み込んでいく。
霧が掛かったようにぼんやりした意識の中で、阿梨沙は使い慣れたノートパソコンの前に腰を下ろし、指を動かしていた。1年前の事件をネットで検索しようとしているのだ。
何故かネットでも新聞でも事件の記事を読んだ記憶はなかった。実際に何があったのか、そして、涼平が救急車で運ばれた後どうなったのか突き止めたい衝動に駆られていた。
「高2男子が飛び降り死亡桜木県・桜庭市」という見出しで事件の翌日、平成21年3月10日付けの記事が見つかった。