桜の咲く頃に
その時、メリーラムの脳裏には、滝壺の水中からおびただしい数の青白い手首が先を競って伸びている場面がフラッシュバックしていた。同時に、あの時の心臓が凍りつきそうな戦慄が甦り、全身を駆け抜けた。
一瞬、男を呼び止めようかなと思ったけれど、すぐさまそんな考えを打ち消した。
話したところでどうにもならない。ハングマンを連れていかれた以外は、今のところ何も起こっちゃいないけど、数え切れないほどの霊の集合体を相手に為す術なんかない。このままじゃ済まない予感がするけど、ここまで来たら後戻りもできないし、後は成り行きに任せるしかない。
「千佳、そろそろ行かないと……」
「立花麗香に追いつけなくなっちゃうって? でも……」
二人とも立ち上がる気配がない。
「……加恋、予備のパンティなんて持ってないよねえ? あたし、こんなことになるなんて夢にも思わなかった」
千佳が顔を赤らめる。
「あ、千佳も? あたしも洩らしちゃった」
「目の前で人が首吊るの見ちゃったんだから、びびっても仕方ないよね。ああ、生地が薄目でも、コート着てきて正解だった」
黒のモッズコートに覆われた股間や下腹部に、千佳の視線が落ちている。
「そうだね」
加恋も思わずつられて自分のカーキーグリーンのモッズの下腹部辺りに目を落とす。こちらも薄手素材だ。
「ねえ、君たち……」
藪からごそごそ出てきて歩き出す二人の背に、不意に男の声が掛かる。
もうみんな帰ったと思っていたのに、一体、誰?
二人の背筋が凍りつく。
振り返ろうともせず、一目散に駆け出し、瞬く間に木立の中へと駆け込んだ。
男は追ってはこなかった。
二人は荒れた息を整える。
だが、それも束の間、先を急がなくてはならない、立花麗香に追いつくために。
とっぷりと日が暮れた森は、様相をがらりと変えていた。
時折木々の間からこぼれる、青白い月明かりだけを頼りに、足元に気遣いながら進んでいく。懐中電灯を持ってこなかったことを後悔した。
風もないのに、木の葉がザワザワと音を立てて揺れている。
自分が死んだことが理解できないのか、それとも自分の死が受け入れられないのか、浮かばれないものたちが、暗闇を彷徨っているらしい。
加恋は、不意に前方の木の枝から強い視線を感じた。
近づくにつれて、その感覚は鋭利に研ぎ澄まされていく。
闇に慣れてきた目で、ふと見上げた途端、声にならない悲鳴を上げ、その場に立ちすくんでしまった。
恐怖に歪んだ瞳は大きく見開かれ、じっと一点を見つめている。
加恋の異変に気付き、その視線の先を追うように見上げた千佳も、枝に視線が吸い寄せられた。
一瞬、男を呼び止めようかなと思ったけれど、すぐさまそんな考えを打ち消した。
話したところでどうにもならない。ハングマンを連れていかれた以外は、今のところ何も起こっちゃいないけど、数え切れないほどの霊の集合体を相手に為す術なんかない。このままじゃ済まない予感がするけど、ここまで来たら後戻りもできないし、後は成り行きに任せるしかない。
「千佳、そろそろ行かないと……」
「立花麗香に追いつけなくなっちゃうって? でも……」
二人とも立ち上がる気配がない。
「……加恋、予備のパンティなんて持ってないよねえ? あたし、こんなことになるなんて夢にも思わなかった」
千佳が顔を赤らめる。
「あ、千佳も? あたしも洩らしちゃった」
「目の前で人が首吊るの見ちゃったんだから、びびっても仕方ないよね。ああ、生地が薄目でも、コート着てきて正解だった」
黒のモッズコートに覆われた股間や下腹部に、千佳の視線が落ちている。
「そうだね」
加恋も思わずつられて自分のカーキーグリーンのモッズの下腹部辺りに目を落とす。こちらも薄手素材だ。
「ねえ、君たち……」
藪からごそごそ出てきて歩き出す二人の背に、不意に男の声が掛かる。
もうみんな帰ったと思っていたのに、一体、誰?
二人の背筋が凍りつく。
振り返ろうともせず、一目散に駆け出し、瞬く間に木立の中へと駆け込んだ。
男は追ってはこなかった。
二人は荒れた息を整える。
だが、それも束の間、先を急がなくてはならない、立花麗香に追いつくために。
とっぷりと日が暮れた森は、様相をがらりと変えていた。
時折木々の間からこぼれる、青白い月明かりだけを頼りに、足元に気遣いながら進んでいく。懐中電灯を持ってこなかったことを後悔した。
風もないのに、木の葉がザワザワと音を立てて揺れている。
自分が死んだことが理解できないのか、それとも自分の死が受け入れられないのか、浮かばれないものたちが、暗闇を彷徨っているらしい。
加恋は、不意に前方の木の枝から強い視線を感じた。
近づくにつれて、その感覚は鋭利に研ぎ澄まされていく。
闇に慣れてきた目で、ふと見上げた途端、声にならない悲鳴を上げ、その場に立ちすくんでしまった。
恐怖に歪んだ瞳は大きく見開かれ、じっと一点を見つめている。
加恋の異変に気付き、その視線の先を追うように見上げた千佳も、枝に視線が吸い寄せられた。