こんなかたちではじまる恋
「先帰っててもよかったんですよ」



電車に乗り込むと綾野は言った。
もう外は夕暮れに染まる時間帯だった。



「慣れないところだから、ひとりで帰るのもなんだか心細くて」

「まあ月島さんだったら迷子になりかねないですね」



そんなイヤミでさえも、工場での綾野を見たら受け止め方が変わった。



最寄りの駅につく頃にはもうとっくに夜になっていた。



「今日はこのまま帰りませんか?会社には俺から連絡しておきますよ」

「うん!ちょっと会社に戻るのは億劫かも」



そう答えると、綾野は優しい笑顔を見せてから、会社に連絡を入れ始めた。



意地悪そうな笑みか、余裕たっぷりの笑みしか見たことのなかったあたしは、不覚にもドキッとしてしまった。



(今の笑顔、反則…)



「会社に連絡入れときました」



そんなあたしの心の声を綾野は知らない。



「ありがとう」

「いえ。助けてもらったのは俺のほうですから。月島さんがよかったらですけど、メシどうですか?奢りますよ」



いつもは強引なくせに、こんなときはよかったらなんて言う。
綾野は本当に自分勝手だ。



きっと今日の綾野を知らなかったらあたしはきっぱり断っていただろう。
だけど、もう少し綾野と一緒にいたかったからあたしはOKした。
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