鈴姫
「あ……」
そこにいたのは、なんと桜姫だった。
いつもしっかりとしていて弱音を吐かない桜姫が、小屋の隅に隠れて泣いていたのだ。
秋蛍は驚いたのと、月明りに照らされたその泣き顔の美しさに動けなくなってしまった。
「ごめんなさい、こんなところ……」
桜姫は気まずそうに顔を逸らし、涙のあとを消そうと袖で拭いはじめた。
秋蛍ははっと我に返って、涙を拭う桜姫の腕を急いで掴んで、とめる。
「俺、誰にも言わないよ」
掴んだ桜姫の腕は、思っていたよりも随分細い。
「気がすむまで泣けばいい」
桜姫は目を見開いて、秋蛍をまじまじと見つめた。
秋蛍は唇を引き結んで、負けじと桜姫を見返す。
やがて、桜姫はまた目の淵にじわりと涙をためて、ふっと笑いながら俯いた。
その拍子に涙がまるい粒となってこぼれ落ちた。
「……わたし、大きくなったら嫁ぐの。国王さまのもとに」
ぽつりと零した桜姫の言葉に、秋蛍は彼女の腕を掴んでいた手を緩めた。
桜姫の腕は、そのまま秋蛍の手からすべり落ちていった。
「このことは、『桜姫』の称号を受け継いだときから決まってたの。それに貴族の姫であれば結婚相手を選べないのはどこも当たり前。だから、もう覚悟はできてるつもりだったわ」
だけど、と桜姫は顔をあげた。
彼女の視線は秋蛍を通り越し、秋蛍の背後の闇に浮かび上がる半月に真っ直ぐに向けられた。
「恋がしてみたい……」
秋蛍は黙って、背後を振り返った。
そして月を見上げた。
半月は、優しい光を放ちながら、二人を包み込んでいた。