鈴姫
水の中に入ったはずなのに、冷たい水の感覚は全くなかった。
それどころか、息ができる。
驚きに目を見開き、水の中を見回した。
濁った池の中は視界が悪く、足元で揺らぐ水草を感じるだけだ。
秋蛍の姿も、魔物の姿も見えない。
ただ体に巻き付いているものは相変わらずで、香蘭をある方向へ引っ張っていく。
この手の先にあれがいるのは確かだ。
ぞっとして、手から逃れようと必死でもがいたが強く巻き付いていて逃げられない。
すぐ近くでとてつもなく嫌な気配を感じとり、顔を上げるといくつもの手を生やした大きな黒い塊がそびえ立っていた。
蛙のような皮膚を持つそれのまわりには、人間の手や足がごみのように浮遊していた。
喰われてしまう。
そう感じて、恐怖のあまり声も出せずにただただ魔物を見上げていた。
その体には似合わない、美しいほど鋭利な歯が列をなす口が目の前にせまった。
もうだめだと目を瞑ったとき、ふっと、香蘭の体に巻き付いていたものの力が緩み、香蘭は自由になった。
驚いていると、さっと誰かに抱えられ、伸びてきた別の手から危ういところで逃れられた。
けれどそんなことはどうでもよかった。
自分を抱える人物を、香蘭は涙の滲んだ目で見上げた。