教組の花嫁
 
 「居城の明け渡しか。残念無念。大石内蔵助の心境やな。泣きたいけど、涙も枯れて出えへんわ。長い間、おおきに」


 泰子が自宅に別れを告げた。


 「ちょっと、待ってな。野暮用を済ませて来るからな」


 泰子が運転手に声を掛けた。
 泰子は、急いでエレベータに乗ると3階に上がった。


 教祖室のドアを開け、道心の執務机の上に封筒を置いた。
 封筒の中には、一枚の便箋が入っていた。


 便箋には、慰謝料の振込先、新住所に加えて、次のような簡単なメッセージが書かれていた。



 長い間お世話になりました。居城を明け渡します。
 大石内蔵助の心境です。では、お元気で。さようなら。

 泰子



 泰子は教祖室を出ると、階段を駆け下りてトラックの助手席に乗り込んだ。


 「行ってんか」


 泰子の言葉を合図にして、トラックが走り出した。
 泰子は、もう振り返る事は無かった。


 いつしかトラックは、深夜の町に消えて行った。





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