棘姫
『大丈夫です。
噛まれてはいませんから』
由愛が言うと、女の子は安心したように溜め息をこぼした。
『よかったです。
ここに来るのは初めてだし、真っ暗だったからこけちゃって。リード放しちゃったんです』
女の子が犬を抱き上げた。
今まで月を覆っていた雲が遠ざかり、再び月明かりが射した。
まるで、お互いの顔を分からせるためであるかのように。
『……ぇ?
李羽…ちゃん?』
女の子が恐る恐る私の名前を口にした。
「杏【アンズ】ちゃん…な、の?」
懐かしい名前を口にすると、女の子…杏ちゃんは花のうな笑顔を見せた。
『すっごい久しぶり!!
李羽ちゃんがこの街に住んでるのは知ってたけど、まさかまた会えるなんて思ってなかったよ!!』
――杏。
彼女と出会ったのは病院。
杏ちゃんと私は同じ病室でベッドは隣同士。
彼女もまた私と同じ、卵巣ガンで入院していたのだった。
あの頃励まし合っていた友達と、元気になってから再会出来るのはもちろん嬉しい。
でも…
せめて、由愛がいない時が良かったよ。
『すっかり元気そうだね。もう体の具合は大丈夫?』
案の定、杏ちゃんは私が触れてほしくない話題を口にする。
由愛を見ると、不思議そうな顔をしていた。
「う、うん。
今はなんともないよ。
大丈夫だから」
『そっか〜。
よかった!! 私もちょっと前にやっと治療が終わったんだ。今は様子見で月に一回通院する程度なの』
杏ちゃんは抱いている犬の頭を撫でる。
『…治療?』
一人、話の意図が見えてない由愛が独り言のように呟いた。