棘姫
『うーん…。
ハッキリとは分かんないけど、なんかさぁ…前よりも雰囲気や表情が穏やかになった気がする』
ミノリは真っ直ぐにあたしを見ている。
『イイ意味で由愛ちゃんは変われてるんだよ。あたしの単なる気のせいかもしれないけどさ、由愛ちゃん…もうすぐこの街からいなくなっちゃう気がするなぁ。
ま、こんなとこ…あたし達がいていい場所やないけどね』
冷めないように被せられているココアのカップを外す。
目の前に湯気が立つ。
その白い湯気の向こうで、ミノリはちょっと寂しそうに微笑んでいた。
少し話した後、ミノリとは店の前で別れた。
今日もまた…
それぞれの夜が始まる。
通りに一歩足を踏み入れれば、いつもその気になって気持ちを切り替えられる。
その筈なのに…今日は全然その切り替えが出来ない。
ミノリの言葉が、変に頭に残ってしまっている。
不味いな…。
こんな気分じゃとてもじゃないけど、男の相手なんか出来ないよ。
今夜は帰った方がいいかもしれない。
援交する時は感情を限界までなくして、心を凍りつかせないとダメ。
余計な感情なんて挟んだら援交なんか出来ない。
あたしは通りの出口に向かって足を進める。
でも、
こんな心境の時に限って―…
『由愛ちゃん。久しぶりだね』
何度か寝た男に捕まってしまう。
この男はいつも5万は出してくれていた。ある企業の上部の人間らしい。
あたしの顧客になりつつある男でもあった。
断るのは惜しい。
だけど今は…
『行こっか?』
いかにも好印象狙いの"営業スマイルです。"と言わんばかりの笑顔。
男は手を差し出した。
このまま立ち去りたいのがあたしの本音。
でも断ってしまえば、せっかくの大金を手に入れるチャンスを逃してしまう。
別にあたし自身は、ハッキリ言ってそこまでお金なんていらない。
でもあたしの家は…きっとお金が必要なんだと思う。