レガートの扉
きっと徐々に緊張が解けていたのは、目の前の彼の態度が昔と変わらなかったせい。
だけど精悍さの増したその顔が破顔するごとに、胸の奥ではツキンとした痛みを感じてもいた。
「いつ、帰ってたの?」
「ん、昨日の朝。でも、挨拶回りしてたんだ」
「さすが有名ピアニスト」
「有名は余分。で、律歌は仕事どう?」
「そうね…、海外飛び回って充実してるよ」
「そっか」
「でも、やっぱり望には敵わないなぁ」
黒い瞳と同じ色の遊びを利かせた髪は、あの頃よりも少しだけ短い。
黒Tシャツにデニム姿の今は、まだリハーサルの時間帯を物語っている。
とてもラフな出で立ちなのに、きっとオシャレした私の方が霞んでいるだろう。
海外へ向かったあと彼は、名だたるコンクールで優勝。今やクラシック界で一目置かれる存在だ。
――彼が持っていた天性のオーラは色褪せるどころか、もっと増していた。
「今日、来てくれないかと思った」
「1人で来るのはすごく嫌だった」
「ハッキリ言うなぁ」
「うん、ヤな女だよね」
「認めんの?」
「もちろん事実だもの」
現在の部署で揉まれてきたせいか、自己主張と精神力の強い女になった私とは大違い。