ワケあり!
 絹が居間に戻ると、えっと言う顔をされた。

 隣の席のボスに、だ。

「絹さん、おかえりー」

 ソファの後ろから、了が首に腕を絡めてくる。

 反射的に、投げ飛ばしたくなる瞬間だ。

「あれ…絹さん、何の匂い?」

 くんくんと、了が鼻を鳴らす。

 あっ。

 ようやく、さっき見せたボスの反応を理解する。

 線香だ。

 その匂いに、気付かれたのだろう。

「了くん…お茶に届かないわ」

 はがいじめられたまま、絹はくすくす笑って両手を宙に踊らせた。

 カップはテーブルの上だ。

「あ、ごめんね」

 了をひきはがすことに成功。

 こんなところで、線香の匂いを当てられるなんて、とんでもない。

 その単語で、家族全員に桜の存在が甦るのだ。

 はやく、匂いが飛ぶことを願った。

「そういえば、お嬢さん」

 チョウに呼び掛けられる。

「“オダ”って聞いたことはないかな?」

 穏やかな世間話のようだったが、唇だけがとても慎重だった。

「さあ…心当たりはないですが…それはなんですか?」

 軽く返す絹に、チョウは苦笑した。

「ああいや、勘違いだったようだ…そうだ、巧、さっきの製品の…」

 最初から。

 絹が反応しなければ、最初から別の話に切り替えることを、チョウは決めていたのだ。

 この話が、すぐに埋もれてしまうように。

 多分、桜に関することだろう。

 こんな亡霊の住む家に、亡霊と同じ顔の女が来たのである。

 呪縛されたままのチョウは、絹を桜の親戚か何かだと思ったのかもしれない。

 この顔は、遺伝ではないので、彼の願いは虚しいのだが。

 紅い桜と、オダ。

 島村さんなら、何か見つけそうだな。

 もしかしたら、既に動き始めているかもしれない男に、絹は望みを託すことにした。
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