ワケあり!
「夕方から、宵山が始まるけど、人が多くなりすぎるからな」

 手首を引かれ、声を聞かされながら、絹はカラコロ歩いた。

 京都について、初めて見る景色。

 狭い路地に広がる、カラメル色のクラシックな木造の家々。

 そこら中から、着物の人が現われそうな錯覚を感じる。

 しかし、絹はさっきまでいた家の情報も、外側から記憶していた。

 表札は、あの『青柳』

 広い家だと、外に出た方がよく分かる。

 右手に、延々と続いた塀のせいだ。

「ここはね…祭の時の仮宿になるんだ。広いからね。いろんな人が、出入りするかと思うけど、気にしないでよ」

 いろんな人、ね。

 絹は、その部分を奥歯で軽く噛んだ。

 要するに、織田の悪党どもが集まるわけだ。

「まあ、殿ごとに客は分けられているから、そこにいる分には、人にはそう会わないだろうけどね」

 ニヤッ。

 渡部が、意味深に笑う。

 ああ。

 なるほど、と絹は彼のニヤリを理解した。

 どうせ、おとなしくしてないだろう?

 そう瞳は言っていたのだ。

 絹が、あの家でウロつくだろうと――もしかしたら、逆にそれを望んでいるかもしれない、と思える。

 でなければ、最初に釘を刺すだろう。

「おや、これは渡部のボン」

 日傘の向こう。

 こちらへ、歩いてくる人がいたようだ。

「こんにちは…柴田さん」

 足を止め、頭を下げる渡部。

「宵山には、まだ早いですぞ…散歩ですかな」

「そんなものです」

 絹は、日傘をふわりと上げた。

 相手の顔を、見ようと思ったのだ。

 濃い顔の、五十くらいの男だった。

 眉ともみあげの黒々とした太さが、古代の男のような力強さを放っている。

 日傘を上げた彼女をちらっとみたので、反射的に会釈してしまった。

 一度下げたまぶたを上げると――男は、絹を見て時を、いや、世界を止めていた。

「お…かた…さま?」

 セミが支配する世界に、彼もまた不協和音を起こすのだ。
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