ワケあり!
「もしもし、先生? 絹です」

 車の中で、絹は携帯をかけた。

 電話の向こうは、しばらく黙りこんだまま。

 声が聞けずに、絹はその時間がとても長いものに感じた。

『携帯を…取り戻したのか?』

 ひそめられるボスの声。

 絹の周囲が、まだ緊迫した状況だと思っているのだろうか。

 しかし、とりあえずボスの声を聞けて、少し安心できた。

「はい、今そっちに帰ってきてます」

 遠くなる祭囃子。

 もういい。

 祇園祭など、こりごりだ。

 絹は、まだ完全に悪党の手から解放されたわけではないが、ふぅと助手席でため息をもらした。

『戻って…渡部がもういいと?』

 戻らないのは、ボスの声。

「いえ、蒲生って人に逃がしてもらいました。車で送ってもらってます」

 絹は、いまの状況を的確に伝えた。

『蒲生…』

 考え込む声。

 ボスが、どれほど織田の部下のことを知っているかは分からないが、その一派だと理解しただろうか。

『カメラはあるか? 切れているようだ、あるならつけなさい』

 言われて、絹ははっと胸ポケットを探った。

 ある。

 切れているのは偶然か、はたまた渡部が気づいたのか。

 絹は言われたとおり、静かにスイッチをオンにした。

 そして、運転手側に身体を向ける。

「ん? どうかしたか?」

 絹の動きに気づいた蒲生が、ちらりと横目だけでこっちを見る。

「保護者がお礼を言いたいって…でも、運転中だものね」

 絹は、カメラで彼を映したことを悟られないように、軽い嘘をついて身体を前に戻した。

 再び、携帯を耳にあてる。

「蒲生さんは運転中なので…お礼だけは伝えておきました」

 嘘の言葉で、自然にコーティングする。

『分かった…こっちで発信機の動きも確認している、気をつけて帰ってきなさい』

 淡々としたボスの声。

「はい、ご心配おかけしました」

 まだ、帰り着くまで何があるかわからない。

 携帯の電池は、温存しておかなければ。

 絹は、名残惜しく電話を切ったのだった。
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