踏みにじられた生命~紅い菊の伝説1~
 黒板を何気なく眺めながら美鈴は溜息をついた。教室内では野本の声が響いていた。現代国語の時間だった。
 美鈴はこの科目は決して嫌いではなかった。野本が教鞭を執らなければ、である。
 野本の授業は面白いとはいえなかった。授業の進め方が単調なのである。本人はそうならないようにと考えているのだろう、時々冗談を混ぜてくる。だが、その冗談も笑えるものではなかった。内容が古いのだ。いわゆる『親父ギャグ』というものだ。
 他のクラスメートも美鈴と同じように感じているのだろう、小さな声で近くの生徒と話している者、メモ用紙にメッセージを書いて回している者、別の科目の勉強をしている者などが多かった。勿論、野本の授業を熱心に聞いている者も少なからずいた。
(早く終わらないかな)
 美鈴はもう一度溜息をついて手首に巻いた時計に目をやった。
 まだ二十分はこの退屈な時間が残っていることを時計は告げていた。
「ふう」
 また溜息。
 ふと校門の方に目をやると報道陣の姿が少し減ったように感じた。居間は授業中なので教師や生徒の話を訊くことが出来ないからなのであろう。
 ふと教室に視線を戻すと何か暖かい気配を美鈴は感じた。教室の前方、野本の隣にそれはいた。一人の上品そうな高齢の女性が暖かい視線を野本に送っていた。それはまるで成長した子供を見守っているような視線だった。
 だが、彼女の姿は誰にも見えていないようだった。
 あれは『もの』だ。
 美鈴は瞬時に感じた。
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