踏みにじられた生命~紅い菊の伝説1~
 階段を駆け下りるのには勇気がいる。
 人は上る時よりも降りる時の方がバランスを崩しやすい。だから足を踏み外し怪我をしてしまわないかという不安に支配されてしまう。それでも美鈴は走り続けた。聞こえてきた声が、その主に大きな危険が迫っていることを告げているからだ。
 だが、バランスを崩しやすい中で足がうまく前に出ない。気持ちは焦るばかりだ。
 それでも二階と一階の間の踊り場に生徒達が群れをなしているのを見つけ、美鈴は立ち止まった。
 人混みの隙間を覗き込むとそこの一人の女子生徒が倒れているのを見た。よく見つめてみるとその女子生徒は飯田美佳だった。
「どうしたんですか?」
 美鈴は隣にいた上級生に尋ねた。
「よく知らないけど、どうも階段を駆け下りて足を踏み外したみたいなんだ。でも、誰かが保健の先生を呼びに行ったらしいよ」
 どうやらその先輩も詳しいことは知らないらしい。けれども、美鈴にはこれが先ほどからの声に関係しているように思えた。彼女があの声の主ではないかと感じていた。
 美鈴は精神を集中させて美佳の心に触れようとした。
 その時〈助けて…〉という声が聞こえてきた。けれどもその声は美佳のいる場所とは別の方向から聞こえてくる。そしてその声は次第にか細くなっていく。
 余り時間がない、美鈴の心の奥に潜む何かが告げていた。
 美鈴は再び走り出した。
 階段を駆け下り、昇降口を抜け、声がした方向、体育館裏に向かっていった。
 しかし、そこには誰の姿もなくいつもと変わらない風景があるだけだった。
 美鈴の視線の先に微かな空気の揺らぎがあることを除いて…。
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