踏みにじられた生命~紅い菊の伝説1~
 ファミリーレストランを後にした美里と美鈴は停めてあった赤いバイクに向かって歩き出した。
 夜の空気はひんやりとしていて、あえ衣服姿の美鈴には少し肌寒かった。等間隔で並んでいる街灯が辺りを明るく照らす。
「みゃぉ」
 どこから来たのか、魔鈴が魔鈴が不意に現れ足下から美鈴を見上げる。街灯の光を受けて魔鈴の碧眼が鋭く光る。
 その時、美鈴の心の中を電流のようなものが走った。彼女の意識が途絶え、瞳と髪が次第に赤く染まっていく。
 美鈴は『紅い菊』に変わってっいった。 
 
 美佳が意識を取り戻したのはあれから三十分ほど経った頃だった。粘ついた汗が体中に纏わり付き気持ちが悪い。シャワーが浴びたい。美佳は正直そう思ったが、すぐに考えを変えた。部屋から出る気にならないからだ。 暗い闇には何かが潜んでいる。その何かは美佳に殺意を抱いている。だから夜の間は特に部屋を出ない方が良い。
 この夜から抜け出したらシャワーを浴びよう。それまでの辛抱だ。ただこのままでは気持ちが悪い。とりあえず着替えよう。
 美佳はクローゼットを開けて着替えを取り出した。濡れた肌着を脱ぎ、乾いたそれに替える。どこかで犬の遠吠えが聞こえる。
 美佳は驚いて下着のままで部屋の片隅に飛び退いた。
 体が細かく震えている。
 歯の根が浮いてかちかちと音をたてる。
 向かい側の壁に小さな黒い染みができる。それは生命があるように四方にゆがみながら大きくなっていく。
 やがて染みが人型になった時、それは壁から抜け出して、美佳の前に立ちはだかった。「久しぶりね、飯田さん」
 染みは不気味に微笑み、美佳を見下ろしている。
 美佳にはその人型を知っていた。
 それは吉田沙保里だった。
 それは『もの』だった。
『もの』は少しずつ美佳に近づいてくる。その度に美佳の恐怖は大きくなる。
 沙保里はベッドに腰をかけ、こちらを見つめる。
「懐かしいわね、よくあなたたちと遊んだ…」 美佳は沙保里から目を反らそうとした。だが、出来なかった。反らそうとすればするほど、視線は沙保里に吸い込まれていく。
「楽しかった、わね?」
 沙保里は笑った。口の端が残忍に歪む。
「やめて…」
 美佳の声が震える。
「こっちに来て」
 沙保里が美佳の方に手を翳す。
「いや…」
 壁に背を付けていた体が離れ、自分の意志に反して足が一歩、前に出る。
 一歩、また一歩、美佳の体は沙保里に近づいていく。
「もっとこっちに…」
 沙保里はベッドから立ち上がり美佳を迎えようと両手を大きく拡げた。  
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