踏みにじられた生命~紅い菊の伝説1~
『紅い菊』は魔鈴と共に夜の街角を疾風のように駆け抜ける。この時間になると仕事帰りのサラリーマン達が歩道を歩いているので、彼女達は車という障害物の少ない車道を走る。
 後ろを走る美里のバイクは振り切られない程度のスピードを出している。それでも街中で出せるスピードの限界に近かった。
『紅い菊』は街の幹線道路から住宅街の路地に入る。途端に街灯の数が少なくなり辺りは薄暗くなる。夜の公園が後ろに飛び去っていく。人が、街灯の明かりが、瞬時のうちに飛び去る。
 美里のバイクが悲鳴をあげて追いかけてくる。しかし、先ほどよりも速度が落ちているため、『紅い菊』との距離が徐々に拡がっていく。
 バイクの音が遠ざかっていく。
『紅い菊』は幾つもの角を曲がり、やがて目的の家の前で立ち止まる。息は少しも乱れていない。彼女は目的の家の二階を見上げる。道路に面した窓の明かりが時折明滅している。 その家の表札には、飯田と記されていた。

 美佳の悲鳴はもはや声にはならなかった。目の前に断つ沙保里から必死に視線を反らそうとして瞳や顔が細かく震える。
 お互いの息が触れ合うほど近づいた時、沙保里は遠くを密様な目で口を開いた。
「あなたたちは友達も作れない私に声をかけてくれたわね。それから私達はいつも一緒にいた…」
 美佳の震えが大きくなる。
「そういえば、こんなことがあったわね?」 沙保里は微笑みながら美佳にあるイメージを送り込む。

 それは、美佳達に声をかけられてから数日後のことだった。
 沙保里が部活から教室に戻ると彼女の席の周りに教科書やノートがばらまかれていた。全ての表紙には赤いインクで「死ね」と書かれていた。  
 沙保里はパニックを起こした。
 誰が、何故こんなことをするのか?その疑問だけが頭の中で渦巻いている。沙保里は床に散らばった教科書やノートをかき集め鞄の中に入れていった。
 そして、最後の一冊を手にしようとした時、誰かの手がその教科書を取り上げた。
「どうしたの、沙保里。」
 三上響子だった。
 響子は教科書の表紙を見て隣にいた野川明美に手渡した。
「やだ、これ、ひどぉい」
 明美は残った二人にもその教科書の表紙を見せた。
「誰がこんなことしたのかしら?」
「ほんとよね」
 伊本彩花と美佳が口々に言いながら這いつくばっている沙保里を見下ろした。彼女達は心配しているような言葉を発しながら、それでもその目は笑っていた。
〈こんなことをしたのは、この人達だ〉
 沙保里は見下している八つの目を見てそう悟った。
< 85 / 96 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop