アクセサリー
 愛するということはどういうことなのだろう。
 今までに人に対して愛を持って接したことはあったのだろうか。愛を経験したことはあるのか。
 親の愛? 親の愛など感じたことはない。高校一年のときに両親が離婚してから、誰も信じられなくなった。
 誰も信じられない。信じようとするから信じられないのだ。信じて裏切られる悲しみがつらいなら、最初から誰も信じないまでだ。人生は悲しいことばかりでつらいもの。生きる意味を表面的に教えてくれる人はいても、深く実質的なことを教えてくれる人などいなかった。高校時代、隆一はその答えを書物に求めた。
書物は決まって、
『過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる』と能書きをたれる。未来と自分が変えられるなら、好きなように無軌道に生きるまで。悲しみに暮れる未来などほしくはない。悲しまないように、心が傷つかないように、心に闇を抱えて歩くのだ。その闇がすべてをつつんでくれる。期待も希望もすべて闇がつつんで、悲しみさえもおおってしまう。何も見えないが、心は傷つかない。
 隆一はそうして生きてきた。すべての悲しみを闇に包むことで、すべてに打ち勝った気がしていた。精神的に強くなった気さえもしていた。
だが、今は何も分からない。隆一は何もかも分かったつもりでいた。そんな自分がとても情けなく、みじめだ。
 一番分からないのは愛だ。
 隆一も何度か人を好きになったことはある。その人のために何でもしてあげられる気持ちになったことはある。ただそれは所詮〝大好き〟という概念にすぎず、〝愛する〟という概念と同意にすることはできない。〝愛する〟ということにどう対面したらいいのだろう。それが分からない、考えようとしてこなかった今までのツケが一気に胸に襲ってくるようだ。
 ジットの『狭き門』が読みかけだった。読んだら少しは愛が分かるかもしれない。
 そんなことを考えたが、結局のところただのバカだ。形而下の欲望によって動かされていたみじめな獣だ。

 
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