なみだのほし−Earth Tear Chlonicle−


「…クソッ…」

少年は走っていた。
森はすでに暗い。木の根が絡み合い枝葉が張り出して、歩くのにも苦労するような足場だ。
それでも走らなければならない理由は、未だに匂ってくる不吉な獣臭。

追っ手は諦めてはいない。

人家の見える急な斜面に来たところで、彼は走るのを止めた。

「−奴らは。」

『−とりあえずは巻いたかと。』

少年が誰にともなく問うと、どこからともなく答えが帰って来た。女の声だ。

『…大丈夫ですか?』

安全を確かめた途端座り込んだ少年に、見えない何かが心配そうに声を掛けた。

「傷はたいしたことはない…だが」

山駆けでまだ荒く息をつく彼の左脇腹には、新しい赤がにじんでいる。

「…血を持って行かれた。簡単に見つかってしまう。」

彼が闘り合った狼族は、ただの獣ではなかった。一度標的の血の味を知れば、どこへ逃げても必ず追ってくる。

傷ついて疲れ切った彼を見て、姿無き者は噛みしめるように言った。

『…殿下はお休みを。テテムがなんとかいたします』

「殿下はやめろ。ここは王宮じゃない。」

きつい目でとがめられて、テテムという名らしき従者はおとなしくわびた。

『−はい、ラグー。』

ラグーと呼ばれた少年は、崖に張り出した木の根を握って立ち上がった。

「……さっきの娘…無事に逃がせたか?」

彼の目線の先には、夕闇ののどかな農村が広がっている。

『は。ふもとまでは運びました。』

「そうか…」

『−あのような小娘のいうことになぞ従ったから無駄に怪我などなさったのです。捨て置けばよろしいものを何故…』


−こっちへ!!森へ逃げろ!!


山を下へ下へと逃げるラグーの耳に、その声は鮮烈に響いた。
−村へ下りるなと。そう、聞こえた。
だから、わざわざ来た道を戻って行った。

そして、あの少女がいた。

「…捨て置けなかったんだ。」

理由は?
分からない。

ただ、真実なにかを守ろうとする者の叫びに、逆らうことはできなかった。

まるで鷹の威嚇を聞いたかのように。

「……名は…何と言うだろうか…」

それとも、無いだろうか。


彼と同じように。

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