ドッペルゲンガー ~怪事件捜査倶楽部~。
私は、殺人の決意をした翌日に呉野に電話をして、あのビルの中で待ち合わせをした。
「私の知っている事を話すわ」と言って。
私は早めに行って、隣のビルの女子トイレを確認した後、少しの間、呉野が来るのを隠れて待った。呉野がビルへ入るのを確認してから、すぐに後を追った。もちろん、誰にも見られないように細心の注意をはらって。
私が中に入ると、呉野は亡霊のように階段の前に立っていた。
中はとても薄暗く、そう見えた。
呉野も同じだったようで、私の気配に気づくと、身体を小さくビクッと震わせた。
「何だ、榎木ですか。ここ、陰気すぎです。幽霊じゃないかと思ってちょっ
とビックリしました」
そう、安堵の顔を浮かべて微笑んだ。
「ごめんね。ここなら呉野の家から近いし、それに、人にあまり聞かれたくないから」
「分かりました」
「ごめんね。――ねえ、屋上に上がらない? ここじゃ、呉野の言うように、陰気だし」
「良いですよ。実はボクも、ここはちょっと……怖くて」
そう言って照れて笑う。
この人はなんて可愛いんだろう。
臆病で、照れ屋で、思わず誰もが庇ってやりたくなる。それでいて自分の意見はきちんと言って、正しいと思う事を通そうとする。呉野はそういう女だった。
私が何度、うらやましいと思った事か、彼女は知らないんだろう。
私は口の端を無理やり持ち上げた。
――作り笑いにはとっくになれた。
「じゃあ、行こうか?」
「はいです」
その返事を聞いて、私は目線を下に向ける。
靴を見つめて、思った。
(――ああ、ここが夜、不良の溜まり場になっていて良かった)
ホコリが溜まったこの場所での、私の足跡も、呉野の足跡も、紛れさせてくれる。
ああ……私は本当に『なれ』てしまったんだなぁ。
悲しかったわけでも、自分が哀れだったわけでもなく、ただ私は、そう思った。
「何ボーとしてるですか、榎木?」
その声に私は顔を上げた。
呉野は階段を上り始めていた。
「ああ、何でもない」
私はそう答えて、呉野の後を追った。
屋上の扉を開けると、太陽の光が目に差し込んで来た。
クラクラする頭を揺すって、屋上に出ると、風が私達を吹き飛ばしそうにふいた。
しかしそれはすぐにおさまって、呉野は「風、強かったですねぇ」と笑った。
「――さっそく、話して良いかしら?」
「あ、はい。お願いするです」
私はその返事を聞いてから、わざと屋上の端に歩いて行った。
呉野なら、私の後を追って、端近くまで来るだろう。
端まで来ると、クルリと振り返る。
すると呉野は、私の予想した距離までは来ていなかった。
警戒しているのだろうか?
「ねえ、もうちょっとこっちに来れば? 聞き取りにくくない?」
私がそう言うと、呉野はコクリと頷き、私の予想した範囲に入った。
大丈夫、この距離なら体格差も入れて、十分に、落とせる。
「……呉野言ったわよね?「何か関わっているんじゃないか?」って」
「言いました」
「ええ、関わっているわ」
私が頷きながら言うと、呉野は〝やっぱり〟という悲しそうな顔をつくった。
「私が、殺したのよ。二人とも」
それを聞くと呉野は、私に尋ねた。
「……どうして、殺したりしたんです?」
その表情は、とても辛そうに見えた。
私には、それが理解できなかった。何故、彼女はこんなにも辛そうに顔を歪めるんだろう?
「私の秘密を知っていて、それでいて『ばらす』と言ったから」
(呉野には、冷淡に聞こえたかも知れない)
そんな事を思った私に、呉野はさらに尋ねた。
「秘密って、何ですか?」
「それは教えられない」
「どうしてですか!?」
「どうしてもよ」
「榎木……その秘密は榎木にとって、どれほど大きい、重要な秘密だったですか?」
――人を殺すほどに。
呉野の顔には、そう書いてあった。その表情に、つい、自嘲したくなる。
「あれが無いと、私は生きていけない……それほどの秘密よ」
「その秘密を守るために、人を殺しても良いほどの秘密なのですか?」
彼女は、悲痛な表情を崩さずに言った。言い方はあくまで静かだったけれど、私を責めた事に代わりはなかった。
責められたくないわけじゃないけど、でも、呉野には一生解らない。
――誰にでも愛される、あなたには――。
そう思ったら、無性に腹が立った。
「今言ったじゃない! あれがないと、私は生きていけないのよ!! あれがないと、あれをなくしたら……あんな生活に私が戻る事なんて私は許さない!!」
「生活? 生活ってどんな――」
言いかけた呉野を私は睨みつけた。
彼女は身震いをして、鬼を見たかのように顔を、身体を、硬直させた。
狂気が、あらわになる……。
高村を殺して
日吉を殺して
最近感情のコントロールが上手くいかない。
「虐げられた生活よ!! 誰も私を人間として生きものとして見ない生活よ!!」
私が叫んだ後、呉野が何かを言った気がした。
でも、覚えてないし、思い出せない。
あの時、呉野は何て言ったんだろう?
覚えているのは、呉野の首を掴んで、肩を手すりに押し付けて、落としたあの感触と、落ちていく前の、あの哀しそうな……顔。
私は、呉野に罪を被せるために、遺書まで用意したのに、何故かその紙を地面に置く事が出来なかった。
――何故?
いったいどうして?
分からない……。
解らない……。
分からない……。
何故置けなかった? 呉野は何て言った?
何故呉野は、私に驚いた表情や、怨みの表情を見せなかったんだろう?
何故、あんなに哀しそうな顔をしたの?
「私の知っている事を話すわ」と言って。
私は早めに行って、隣のビルの女子トイレを確認した後、少しの間、呉野が来るのを隠れて待った。呉野がビルへ入るのを確認してから、すぐに後を追った。もちろん、誰にも見られないように細心の注意をはらって。
私が中に入ると、呉野は亡霊のように階段の前に立っていた。
中はとても薄暗く、そう見えた。
呉野も同じだったようで、私の気配に気づくと、身体を小さくビクッと震わせた。
「何だ、榎木ですか。ここ、陰気すぎです。幽霊じゃないかと思ってちょっ
とビックリしました」
そう、安堵の顔を浮かべて微笑んだ。
「ごめんね。ここなら呉野の家から近いし、それに、人にあまり聞かれたくないから」
「分かりました」
「ごめんね。――ねえ、屋上に上がらない? ここじゃ、呉野の言うように、陰気だし」
「良いですよ。実はボクも、ここはちょっと……怖くて」
そう言って照れて笑う。
この人はなんて可愛いんだろう。
臆病で、照れ屋で、思わず誰もが庇ってやりたくなる。それでいて自分の意見はきちんと言って、正しいと思う事を通そうとする。呉野はそういう女だった。
私が何度、うらやましいと思った事か、彼女は知らないんだろう。
私は口の端を無理やり持ち上げた。
――作り笑いにはとっくになれた。
「じゃあ、行こうか?」
「はいです」
その返事を聞いて、私は目線を下に向ける。
靴を見つめて、思った。
(――ああ、ここが夜、不良の溜まり場になっていて良かった)
ホコリが溜まったこの場所での、私の足跡も、呉野の足跡も、紛れさせてくれる。
ああ……私は本当に『なれ』てしまったんだなぁ。
悲しかったわけでも、自分が哀れだったわけでもなく、ただ私は、そう思った。
「何ボーとしてるですか、榎木?」
その声に私は顔を上げた。
呉野は階段を上り始めていた。
「ああ、何でもない」
私はそう答えて、呉野の後を追った。
屋上の扉を開けると、太陽の光が目に差し込んで来た。
クラクラする頭を揺すって、屋上に出ると、風が私達を吹き飛ばしそうにふいた。
しかしそれはすぐにおさまって、呉野は「風、強かったですねぇ」と笑った。
「――さっそく、話して良いかしら?」
「あ、はい。お願いするです」
私はその返事を聞いてから、わざと屋上の端に歩いて行った。
呉野なら、私の後を追って、端近くまで来るだろう。
端まで来ると、クルリと振り返る。
すると呉野は、私の予想した距離までは来ていなかった。
警戒しているのだろうか?
「ねえ、もうちょっとこっちに来れば? 聞き取りにくくない?」
私がそう言うと、呉野はコクリと頷き、私の予想した範囲に入った。
大丈夫、この距離なら体格差も入れて、十分に、落とせる。
「……呉野言ったわよね?「何か関わっているんじゃないか?」って」
「言いました」
「ええ、関わっているわ」
私が頷きながら言うと、呉野は〝やっぱり〟という悲しそうな顔をつくった。
「私が、殺したのよ。二人とも」
それを聞くと呉野は、私に尋ねた。
「……どうして、殺したりしたんです?」
その表情は、とても辛そうに見えた。
私には、それが理解できなかった。何故、彼女はこんなにも辛そうに顔を歪めるんだろう?
「私の秘密を知っていて、それでいて『ばらす』と言ったから」
(呉野には、冷淡に聞こえたかも知れない)
そんな事を思った私に、呉野はさらに尋ねた。
「秘密って、何ですか?」
「それは教えられない」
「どうしてですか!?」
「どうしてもよ」
「榎木……その秘密は榎木にとって、どれほど大きい、重要な秘密だったですか?」
――人を殺すほどに。
呉野の顔には、そう書いてあった。その表情に、つい、自嘲したくなる。
「あれが無いと、私は生きていけない……それほどの秘密よ」
「その秘密を守るために、人を殺しても良いほどの秘密なのですか?」
彼女は、悲痛な表情を崩さずに言った。言い方はあくまで静かだったけれど、私を責めた事に代わりはなかった。
責められたくないわけじゃないけど、でも、呉野には一生解らない。
――誰にでも愛される、あなたには――。
そう思ったら、無性に腹が立った。
「今言ったじゃない! あれがないと、私は生きていけないのよ!! あれがないと、あれをなくしたら……あんな生活に私が戻る事なんて私は許さない!!」
「生活? 生活ってどんな――」
言いかけた呉野を私は睨みつけた。
彼女は身震いをして、鬼を見たかのように顔を、身体を、硬直させた。
狂気が、あらわになる……。
高村を殺して
日吉を殺して
最近感情のコントロールが上手くいかない。
「虐げられた生活よ!! 誰も私を人間として生きものとして見ない生活よ!!」
私が叫んだ後、呉野が何かを言った気がした。
でも、覚えてないし、思い出せない。
あの時、呉野は何て言ったんだろう?
覚えているのは、呉野の首を掴んで、肩を手すりに押し付けて、落としたあの感触と、落ちていく前の、あの哀しそうな……顔。
私は、呉野に罪を被せるために、遺書まで用意したのに、何故かその紙を地面に置く事が出来なかった。
――何故?
いったいどうして?
分からない……。
解らない……。
分からない……。
何故置けなかった? 呉野は何て言った?
何故呉野は、私に驚いた表情や、怨みの表情を見せなかったんだろう?
何故、あんなに哀しそうな顔をしたの?