私の好きな人は駐在さん
「あ、あのー……。」
まるで、授業中にトイレに行きたくなって、先生にその了承を得る子どものように、おずおずと私は声を発した。
「はい。なんでしょう。」
けっして心から微笑んではいないのだろうけれど、表向きは優しげな表情を描いている。さすが、警察官である。
それはそうだ。穏やかに心のそこから笑顔を投げ掛けられる状況でもないであろう。こんな夜中に、女の酔っ払いの相手をするほど、気の害することはないであろう……。自分がその元凶である以外の何者でもないとう苦々しい現実をつきつけられながらも、必死に口を開いた。
「あ、あの……。私、変な人じゃ、ありません!」
一息に言ってから、しまった、と思うも、時既に遅し。
変人が、私、変人です。と、告白するはずもなし、犯人が、私がやりました。と、すんなり自供するはずもなし。しかもそれをいつも耳タコ(耳にタコ)なほど聞かされている、警察官にこんなこと言ったってなんの効力も表さないということを、今さらながらに気付き、後悔の念が波となって一気に押し寄せてきた。
「それを、証明してもらうために、今こうしてお話、聞いてますから。ねっ。怪しくないなら答えてもらえばいいんで。」
やっぱりプロだ。交わし方も見事である。
なんて、間抜け面で感心している場合ではない。
「あの、私は、橘かおると申します。えっと、この近くの出版会社に勤めてます、はい。……あ、あの……こんなもので、許してもらえませんかね……?」
顔から火が出る思いで、警官を前に自己紹介をする。なんと無様な……。
がっくしと、頭を垂れた。
「んー。じゃあ、免許証とか、保険証のような何らかの身分を証明するもの、見せていただけます?」
目の前の警察官は、訝しげな表情で、私を見つめた。
その瞬間、不意に私は、何故か心臓を小さな子供の手で、きゅっ、と掴まれたような気がした。苦しくありながらも、爽快感を伴った感情が身体中を駆け巡った。
その男は、私の顔を至極近い距離から、上目遣いで見つめてきたのだ。決して邪念のない、真っ直ぐで、ビー玉のように澄んだ瞳。若干茶みがかっているのさえも、よく見えた。まるで、何もかもを吸い込んでしまうのではないかと思われるくらいの力を秘めていた。
私は、その一瞬、彼にすっかり、魅せられてしまった。いや、彼の、その曇りなき瞳に、というほうが正しかろうか。