ビロードの口づけ
 ジンはすかさず左手の爪を繰り出す。
 ザキはそれを避けて間合いを取った。

 ジンが立ち上がり、二人はしばし睨み合う。

 風向きが変わり、夜風に乗って極上の甘い香りが辺りに漂い始めた。
 ザキが突き出た鼻をヒクヒクさせて目を輝かせる。


「この香り……! 間違いない。五年前の女だ!」


 ジンは内心舌打ちする。

(あのバカ! おとなしくしていろと言っておいたのに)

 ザキが風上に向かって一歩踏み出した時、一発の銃声が響いた。
 どうやらザキの咆哮に気付いた屋敷の人間が、獣を牽制するために撃ったようだ。

 ザキは舌打ちして踵を返し、そのまま闇の中に走り去った。

 程なく灯りを持ったコウに導かれ、猟銃を携えた警備員がやって来た。


「ジン様!」


 血相を変えて駆け寄ってきた二人に、ジンはザキが走り去った闇を指差した。


「オレの事はいい。奴を追ってくれ」


 警備員は頷いてコウから灯りを受け取り、闇の中に消えていった。
< 120 / 201 >

この作品をシェア

pagetop