ビロードの口づけ
 だが、人の中に紛れ込んでいる獣が女を襲わないのはなぜだろう。
 香水で匂いが消えていたとしても、知能が高いのなら見ただけで女かどうかわかるはずだ。


「獣王が禁じているからだ。勝手に力を増幅されては自分の身が危うくなる」


 獣たちは互いに監視し合っている。
 掟を破った者は必ず発覚し粛清される。
 それが分かっているから、人型になれるほどの知能を有する者は決して掟を破らない。

 それでも低級の獣は、なんとか力を得ようと時々森から現れて女を襲う。
 そして人間に見つかって殺されてしまうか、運良く森に戻れても粛清される。

 その後しばらくは哀れな末路が獣たちの記憶に残るので、勝手な行動をする者もいなくなる。
 それでめったに姿を見せないのだ。

 五年前にクルミを襲った獣たちも、あの後この世から抹殺されてしまったのだろう。
 そう思うと少し寂しく感じた。
 あのきれいな黒い獣には、もう二度と会えないのだ。
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