ビロードの口づけ
 苛々したように怒鳴りながら、兄はジンを睨んで立ち上がった。
 クルミはおろおろとジンを振り返る。

 兄の剣幕にもジンはひるむ事なく、口元に薄い笑みを浮かべていた。


「分かっておいでなら、どうして庭に出る事をお勧めになるのか私には理解できません。敷地内に獣が侵入したのは二度目です。庭も安全とは言いかねます」
「屋敷に閉じ込められて、クルミがかわいそうだろう!」
「獣に襲われる以上にかわいそうな事はないと存じますが」


 兄は歯がみしながら拳を握りしめた。
 水を打ったような沈黙が部屋の中を支配する。
 一触即発の剣呑な雰囲気に、クルミは間に挟まれて二人を交互に見つめながら、ただうろたえるしかできない。

 そこへ扉がノックされる音が響いた。
 張り詰めた空気が一瞬にして緩み、皆一様に扉を見つめる。

 薄く開いた扉から、母が手招いた。


「ジン、ちょっと……」
「奥様、申し訳ありません。今……」

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