ビロードの口づけ
 ジンは珍しく困惑した表情で断ろうとしたが、母は少し強い口調でそれを遮った。


「いいから、来なさい」


 母は騒ぎを聞きつけて仲裁に来たのかもしれない。
 諦めたように口をつぐんだジンは、クルミに向き直り「失礼します」と頭を下げて部屋を出て行った。

 それを見届けて兄は、ため息と共にソファに座り直した。
 ソファの背に深くもたれて腕を組み、眉間にしわを寄せてこぼす。


「なんなんだ彼は。父さんが頼み込んで雇ったから優秀なのかもしれないが、主に対する差し出口が過ぎる」


 クルミは思わず苦笑に顔を引きつらせた。

 兄には申し訳ないが、おそらくジンは雇い主である父以外を主だと認めてはいないだろう。
 クルミに至っては警護対象であるにもかかわらず、平気でいじめている。

 兄の言う事はもっともだと思うが、獣が頻繁に目撃されている今、ジンがいなくなるのは困る。
 おまけに頼み込んでまで雇った父の面子もある。
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