Raindrop

──土曜日午前中のレッスン後、水琴さんのマンションにて。

「あっ……」

短く吐息を漏らす水琴さんの手を取る。

「大丈夫ですか?」

「あ、うん、大丈夫……んっ」

痛そうに顔を歪める彼女の手を引き、肩を抱く。

「水琴さん……」

そうして彼女を抱くようにしながら背中を押し、シンク前に立たせて蛇口を捻った。

勢い良く流れてくる水流の中に、僕の手ごと水琴さんの手を突っ込む。

「オーブンから天板を取り出すときにはミトンをしてくださいね。火傷をしてしまいますから」

晩秋の水道水は心臓に悪いくらいに冷たく、身を縮こまらせながら言う。

「うう、ごめんなさい……」

しゅん、と項垂れて謝る水琴さんを見るのは、これで何度目だろうか。


“秘密”というのは、なんのことはない。

ヴァイオリンのレッスン日に合わせて行われる料理教室のことだ。

講師は僕で、生徒が水琴さん。

……驚いたことに、水琴さんは料理がまったく出来ない人だった。

ならばこのキッチンに揃っている調理器具はなんだろう、と問えば、『道具が揃えばやる気が出るかもしれないから買ってみたけれど、やっぱり出来なかった』ということらしい。

母から聞いてはいたけれど、水琴さんは結構大きな会社の社長令嬢で、何不自由なく育ったお嬢様。

おかげで料理をする習慣もなく、一人暮らしをするようになった今も料理は出来ないのだそうだ。

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