Raindrop
それから拓斗はリビングの隅から譜面台を持ってきて、置いてあったヴァイオリンケースを開けた。

その間に花音を隣に座らせ、僕も聴く心構えを作る。

「兄さん、ちゃんと聴いててねっ」

楽譜を置きながらきらきらとした目でそう言う拓斗に、僕は短く返事をし、頷いた。

それにまた愛らしい笑みで応えた拓斗は、ヴァイオリンを肩に乗せ、弓を構えた。

その、一瞬で。

彼の目つきが変わる。

先程までの愛らしい子犬の表情はどこへやら。

弓を構えた彼は、別人のように洗練された空気を纏う。

物凄い集中力で、これから奏でる音の世界に入り込む。

一瞬の緊張、そして開放。

丸くて大きい目が僅かに細められると、伸びやかな音がリビング中に響き渡った。


拓斗のコンクール用の曲、L.V.ベートーベン作曲『ヴァイオリンソナタ第五番 第一楽章』──春。

外の暗闇に響く雨音など一瞬にして吹き飛んで、リビング中に穏やかな春の日差しが降り注いだ。


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