Raindrop
「はい」

僕も返事をし、何もないような顔で譜面台に楽譜を広げる。

そのままいつも通り、何も変わることのないレッスンが始まった。



彼女が動揺したのはあのときだけで、今日はきちんと気持ちを整えてきたというわけか。

夏の教会のときと同じ。

大人らしく、心の奥にあるモノなど微塵もみせず、何事もなかったかのように振舞ってくれる。

それとも、酔った子どもにキスをされることなど、いつまでも心に留めておくこともない瑣末なものであるとか。


……そんなことを考えながら弾くヴァイオリンは、思い通りには歌ってくれなかった。

きちんと集中しろ、と。

レディ・ブラントは鈍い光を放ちながら、僕を叱責している。


「……旅行から帰ってきたばかりで少し疲れているのかしらね」

思い通りに弾けていないというのをすぐに見抜いた水琴さんは、そう言って微笑んだ。

「今日は早めに終わりましょうか。次の曲の譜読みはしっかりやっておいてくださいね」

「……すみません」

確かに今日の僕は駄目だ。

情けないほどに集中力を欠いている。

< 238 / 353 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop