デュッセルドルフの針金師たち前編
職安にはなぜかアラブ系とトルコ系が多かった。
書類に書き込む。スベンスカランデ(スウェーデン語
できる人)がほとんど。ほかでも探す。

中央駅の近くにあるブルーハウス。ユースのチャップマン。
ガムラスタン(旧市外)のディスコ”ホワイトシープ”。
いろいろと情報を探る。ユースで知り合ったアメリカ

渡りが加わって4人で探す。オゾネは造園の技術を
生かして郊外の牧場へすぐに決まった。レストランに
欠員1名、先輩ずらしてアメリカ渡りに譲った。

やはりマメタンが決まらないと、オサムはその後だ。
この数日間の間に夏季労働協約というものが急遽締結され、
工場の期間労働者は全てアラブ系とトルコ系とに独占されて

あぶれたアラブとトルコに我々日本旅行者とが入り乱れて
仕事の奪い合いになった。カフェテリアもレストランも、
もう手遅れだった。歩き疲れて港にたたずむ二人。

オサムは意を決してマメタンに言った。

「俺にはまだ農場も土方もある。君はワーパミを持っている
んだからコペンに戻ったほうがいいのでは?」

ヒッチハイクでマルメまで送っていくからコペンに帰りな。
幸い東京館からは是非帰って来いという返事みたいだし。
しかし、それでも彼女は帰るのをためらった。

それにはやはり訳があったのだ。マメタンは静かに話し始めた。
”時には母のないこのように”、カルメンまきの透き通った
声が遠くに流れていくようだった。
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