デュッセルドルフの針金師たち前編
オサムは髪をばっさりと切って再び青タオルと
寝袋バックにコペンを離れた。最近とみに増え
てきた大阪人たちが、オサムを見送ってくれた。

ほんとにどこにいても、普通の話が漫才になる。
大阪人はインターナショナルな不思議人だ。
大阪ヒューマニズムは体得したほうがいい。

デュッセルでは、すぐに仕事は見つかった。
ユースの川向こうケーニッヒアレの中華レストラン
金都きんどだ。ミュンヘンの中華飯店の倍の

大きさでコックは上海人のアミンと広州人のサミー。
その助手がスペイン人のアミーゴとオサム。ウェイター
はイタリア人のチャーリーとドイツ人のウルフガング。

オーナーファミリーは中国人で時々長期滞在の
正体不明な日本人の姐さんが手伝いに来たりしていた。

従業員宿舎は店から数百メートル。ちゃんとした個室で
屋根裏部屋ではあったがバストイレ付であった。古い
ビルの4階だ。住居食事つきで月5万円が手取りの給料

ではあったが、この頃は1ドル360円の固定相場で、
1マルク90円、物価も給料もほぼ日本並みというのが
ドイツの実情だった。人口8000万人国土も日本並み。

しかし水だけは飲めなかった。硬水のため飲み続けると
足元などがむくんでくる。だからドイツでは朝から
ビールを飲むのだろうか?

東京館に「職決まる」と手紙を出したらすぐに返事が来た。
「決心して昔の彼に会ってみることにします」
なるほど、オサムはしばらく手紙は出さないでおこうと決めた。
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