Ghost of lost
 再び意識が戻ったとき勇作は薬品と消毒液の匂いが微かに漂ってくるのを感じた。周囲も比較的静かだった。そこ此処で人の会話も聞こえてきたがそれらはいずれも穏やかで静かなものだった。
(此処はどこだ?)
 ぼんやりとした意識の中、勇作は静かに目を開き始めた。柔らかな白い光が入ってくる。自分が横たわっている感触が伝わってくる。近くで人の気配を感じる。
「目が覚めたのね」
 聞き慣れた声が聞こえる。
 その方に意識を集中させる。
 ぼんやりとした輪郭が次第に鮮明になっていき、やがてそれは姉の理恵になっていった。
「姉さん?」
 掠れた声が聞こえる。
 唇が乾き、身体は水を欲しがっている。
 左足に熱い脈を感じる。
「僕はどうしたんだ?」
 記憶が曖昧になっている。
「驚いたわよ。夕べ嫌な予感がしてあんたの部屋に行ったら血を流して倒れていたじゃない。リサちゃんは混乱していて話にならないし…」
 理恵の声はほんの少し起こっているようにも聞こえた。
 勇作は記憶を辿り始める。
 そう、昨夜あの黒い影に刺されたのだ。物が宙を舞い、最後にナイフの一撃があったのだ。勇作自身が使っている果物ナイフが…。
 その黒い影はリサに対して強い憎しみを抱いている様子だった。
 勇作はそのことを理恵に話した。
 理恵はその話を聞いて彼女の傍らに視線を移した。その先には心配そうに覗き込んでいるリサの姿があった。
 リサの瞳には喜びと安堵の色があったが、体は細かく震えていた。
「何か心当たりはあるの?」
 周囲に聞こえないほどの小声で問いかける理恵に対してリサは首を横に振る。
「あなたには?」
 勇作に向けられた問いを彼は否定した。
 理恵は深い溜め息をついた。
「どちらにしてもリサちゃんの過去に何かがあったみたいね…」
 理恵の言葉に勇作も同じ思いだった。
 何があったにしてもあの影の怒りは普通ではない。リサによって何かを、或いは誰かを失うか傷つけられたのだろう。激しく感情をぶつけるときのリサを見ればそれはあり得ないことでもなかった。
「姉さん、やっぱりリサの過去は知らなければならないのかも知れない…」
 勇作の言葉の真意を伺いながら理恵は自分の思いを口にした。
「本当は反対なんだけど…、仕方ないかも知れないわね」
 そしてリサの方を向き更に言った。
「あなたには耐えられるかしら?」
 リサは震えながらも首を縦に振った。 
< 40 / 50 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop