ユアサ先輩とキス・アラモード
 代わりに、よく知っている爽やかな洗濯洗剤の香りがした。湯浅が着ている衣類からする香りだ。かすかな呼吸音も聞こえる。恐る恐る目を開けると、十センチ先に憧れて止まない湯浅の切れ長の目があった。驚きのあまり、真帆は呼吸を止めた。
 湯浅は真帆に覆いかぶさるよう抱きしめていた。真帆の腕は体の用側に固定され、身動きが取れない。湯浅の独壇場だ。
 真帆の頭の中はこれからの展開を思うと、熱さが増し溶けてしまいそうだった。
「今日は特別だ。俺自ら講習代を頂戴するよ」
適度に低音の効いた、セクシーな声で湯浅は言った。真帆の心臓は、短距離走を全力で走っている時と同じ、激しい鼓動を繰り返した。彼は躊躇なく端正な顔を近づけて来る。極度の緊張が真帆の全身に張り詰め、背中が逃すよう反った。
 唇が触れる五センチ手前で真帆は目を固くつぶった。注射針を刺される時に襲う恐怖に似ていて、彼を直視できない。
 人間特有の体温が、春風のように真帆を包む。ほどなくして知った柔らかさが唇に触れ、頭の天辺から足先まで甘いしびれが駆け抜けた。
 
「ねえ、今日の放課後、弓道部見学にいかない?」
「弓道部?」
真帆は弁当箱を袋から出しかけたところでやめ、目の前に座る美咲を見た。美咲は購買で買ってきた焼きそばパンのラップをはがしながら、ピンク色のリップで輝く唇を微笑みに型取り、大きくうなずいた。
「まだ見に行っていなかったでしょ」
「でも、昨日バドミントン部へ見学に行って『楽しそうだからここにしよう』って決めたじゃない」
「んー、でもさ。よく考えたら、全部の部を見ないうちに決めると後悔するんじゃないかと思って」
「しないよ。バドミントン、本当に楽しそうだったもん」
「……そんなに『三年連続、全国優勝』が怖い?」
「ゲホッ、ゲホッ!」
真帆はおかずの卵焼きを喉につまらせ、慌てて水筒に入った水を飲んだ。
「気にする事ないって。確かに強豪だけど、しょせん部活。プロじゃないんだから、真面目にやっていれば遅くとも三年には主力メンバーだよ」

 


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