ユアサ先輩とキス・アラモード
「あの、先輩。おまたせしました」
「本当だ、すごく待った。あやうく寝てしまうところだった」
「す、すいません!一生懸命やったんですが、私、トロいみたいで」
「ああ、疲れた。腹も減った。人を指導するのはとても骨が折れる」
「すいません。先輩の頑張りを無駄にしないよう、かならず結果をだします」
とたん、湯浅はギロリとニラんだ。真帆は蛇にニラまれたカエルのように固まった。
「なあ、中林。おまえは確かに伸びる素質がある。それは認めよう」
「ありがとうございます」
「しかし新人戦まで一か月近くある。俺はそれまでいろんな物をなげうって、来る日も来る日も指導しなければならない。すごい労力だと思わないか?」
「はい、そうだと思います」
「これじゃあ、恋愛だってできない」
真帆はドキッとした。ユアサの口から『恋愛』の二文字が出るとは思わなかった。
(湯浅先輩はモテるけど、今のところ彼女はいないはず。たぶん、付き合う気がないんだろうな。でも、ミスターパーフェクトって言われるだけあって、女性にも完璧を求めそう。今の私じゃ、ターゲットの範疇に入るのはキビしいな)
真帆には『恋愛できない』となぜ自分に言ったのか、理解できなかった。
「なあ、中林。一つ提案がある」
「提案?」
ふいに湯浅は熱を帯びた目で真帆を見た。真帆の心臓は、突然落下したジェットコースターに乗ったかのように、激しく鼓動した。
「なんですか?」
「指導料として、キスさせろ」
「はい?」
「キスさせろ」
湯浅は大真面目な顔で言った。微塵も冗談を言っている気配はない。対し真帆は、状況を呑み込めず、石造のように固まった。頭の中で『キスさせろ、キスさせろ』の言葉がボールのごとく永遠にぶつかり、あっちこっちぶつかり、はねていた。
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