クランベールに行ってきます
人のいない廊下を研究室に向かって歩きながら、ロイドは話し始めた。
結衣とジレットが頻繁に会っていると、王子の結婚が近いのではないかと勘繰られかねない。そんな噂が立てば、今は沈静化している王位継承問題が、表面化してくるだろうと言うのだ。
「だって、王子様十七歳でしょ? ジレットは十五歳だし。結婚なんてまだ……」
「王族や貴族は早婚なんだ。十歳位ですでに婚約者が決まっている事が多い。下賤の血を混ぜないためだろう。陛下も二十歳の時、ご結婚なさった」
「じゃあ、お貴族様にしてみれば、あなたのように三十前後まで独り身なんて、あり得ない事なのね」
「黙れ。おまえだって立派な行き遅れだ。女子は大体二十歳までには結婚するからな」
イヤミを言ったつもりが言い返されて、結衣はムッとする。そして、ふと思った。
もしかしたら王は、結衣を手元に置きたいというよりは、ロイドの行く末を心配して結婚を勧めたのではないだろうか。
女好きを豪語するエロ学者ぶりから見て、女に興味がないわけではないだろうが、この男は放って置いたら一生機械と添い遂げそうに見える。
結衣とロイドの結婚は、甘えてくれない息子と結婚しないロイド、という王の気苦労を一石二鳥で取り除く会心の策だったのだろう。
話している内に研究室にたどり着いた。扉の前で立ち止まると、ロイドは振り返って釘を刺す。
「とにかく、もうすでに噂になってるかもしれない。身辺には気を配れよ」
「わかった」
結衣が全く違う事を考えてため息をついていると、ロイドが結衣を見つめてニヤリと笑った。
「後で文字の学習教材を持ってきてやる。自分で言ったからには、やってもらわないとな」
「いいわよ。そのかわりケーキ作れなくなるけど、いいの?」
結衣が反撃すると、ロイドは表情を崩すことなく平然と言う。
「オレは一向にかまわない。甘いものは街で買ってくればいいわけだし。おまえの方が文字の勉強だけしている事に耐えられるならな」
結衣は絶句する。確かに耐えられそうにない。またしてもロイドのいいなりだ。
「もう! くやしーっ! こんな事なら、ヤキモチだって言っとけばよかった」
結衣がわめくと、ロイドはすかさず額を叩いた。
「ふざけるな。それじゃ、まるでオレが……」
そこまで言って、ロイドは口をつぐみ、不愉快そうに顔を背けると、扉を開けて研究室に入って行った。
『まるでオレが……』——何? ロイドが何を言いかけたのか気になった。
結衣は首を傾げながら、ロイドの後について研究室に入った。