運命の人
第3章 噛み合わない歯車
「ええーっ!?」
店中に絵里香の驚きの声が響きる。自分が思っていたより大声を出してしまった事に絵里香は気付いたのか、慌てて両手で口を塞いで周りに小さく頭を下げた。
「もう、絵里香ってば」
「だって!」
今日は絵里香に誘われて仕事帰りに飲みに来た。どうやら絵里香にも大事な話がある様だったが、まずは挨拶代わりにした叶子の恋の進展状況を質問したのだが、叶子の返答が予想していなかったものだった所為か、先程の様な大声を張り上げてしまう失態を犯してしまった。
「マジでー!?」
頭を低くして目をまん丸に見開きながら小さな声で再確認する絵里香に、叶子は少し恥ずかしそうに上目遣いで小さく頷いた。
「ちょ、ちょっと待って、頭の中整理するね。――えと、……ご飯作って、一緒にお風呂に入ってー」
「ソコ違う! 一緒にお風呂なんて入ってない!」
「ああ……で、お酒飲んでいい感じになって……でも、彼は途中で寝ちゃったんだよね?」
「うん」
「んで? 次の朝? 再チャレンジ?」
「してないっってば」
つい先ほど一通り事の流れを説明したと言うのに、絵里香の頭の中では事実が色々と塗り替えられている。絵里香の妄想が激しすぎて叶子は思わず噴き出した。
「あ、次の日の夜に嫌がる彼を無理矢理連れ込んで――しちゃったと?」
「なんか話が歪曲されてる様な気がするけど……まぁそんなトコ」
「ええええー!? カナってそんなタイプだったっけぇー?」
頭をブンブンと振り、さも『とんでもない!』とでも言うように否定している。
「だよねぇー。……なんで?」
「なんでって言われても。自分でも良くわかんないのに」
「それだけハマっちゃってるのだろうねー、その彼に」
そう言ってテーブルの上に置いてある叶子の携帯電話を指差した。
「?」
「だって誰と飲む時もそうだけど、カナは恋人がいてもテーブルに携帯電話置いたりしないじゃん」
「えーっと……。どういう事?」
「もう! 鈍いなぁ!」
腕を組んで絵里香は頬を膨らませた。
「彼からの電話、待ってるんでしょ? 掛かってきてもすぐ取れるように目のつくとこに置いて」
「……。」
そう言われるとそうかもしれない。
今までこういった席では携帯電話はずっとバックの中にしまい込んだままだったのに、無意識のうちにすぐ手に取れる所に置いていたのだ。
絵里香によってその事に気付かされると、絵里香には悪いが無性に彼に会いたい気持ちが膨らんできた。
「会ってみたいなぁ、カナの彼」
「そのうち、ね」
その言葉に反応したかのように彼女の携帯電話がブルブルと震えだした。
当然の事ながら、二人の視線がそこに集中する。
「彼?」
「うん。……ちょっといいかな?」
「もちろん!」
自分の幸せを心から願ってくれている親友の笑顔にホッとしながら電話に出た。
「あ、今友達と飲みに来てて……うん悪いけど」
ああ、何とタイミングが悪いのだろう。あれから思っていた通りジャックとは全然会っていない。なのに『今なら少し会える』だなんて。本当にツイてない。
流石に絵里香の目の前で『今から行く』何て言えない叶子は、残念そうにして彼に断りを入れた。
「ねね、逢いたいって言ってるの? ならココに呼んじゃいなよ!」
しかし、その会話にピンと来たのか絵里香は、電話の向こうの彼に聞こえない様に気遣ってか小さな声で言った。
突然の事で動揺したが、いずれは絵里香にも会ってもらいたいとは思っていた叶子は思い切ってジャックに訊ねてみる事にした。
「うん。じゃあ後で」
電話を終えた後、絵里香が身を乗り出して来た。
「どう? 彼来るって?」
「うん、『まだ仕事中だから少ししか居れないけど』って」
「ぎゃー! 大変! メイク直ししなきゃ!」
「何それっ」
喜んで彼を招き入れようとしてくれる友人のその優しさに、心が温まった。
◇◆◇
しばらくすると、突然店の中がざわつき始め、店内にいる人の視線が一箇所に集中した。
その先を見ると膝下まであるブラックコートの襟を立て、革の黒い手袋を手から外しながら、店の入り口でキョロキョロと叶子を探しているジャックが居た。
店の従業員ですらそんな彼の姿に目を奪われている。『いらっしゃいませ』の挨拶をするところか、明らかに誰かを探している風だというのに声を掛ける事すら忘れてしまっている様子だった。
(やっぱり目立つ人だなぁ)
変な緊張感を感じつつもおずおずと叶子が手を上げると、それに気付いたジャックの顔に一気に笑顔が溢れ出す。コツコツと革靴を鳴らしながら早足で歩いてきた。
瞬間、人々の嘆きの声が聞こえると共に、予想通り皆の視線が容赦なく突き刺さる。女性同士のグループは勿論、恋人同士ですら目の前にいる彼氏そっちのけで、女の子が悔しそうな表情を浮かべていた。
もう、こういったお店の中で待ち合わせをするのは止めておこうと、固く心に誓った。
「こっちへ座っ――」
「逢いたかったよ」
席を詰める為に立ち上がった途端、ジャックの長い腕が叶子を包み込んだ。耳元で囁く様にしてそう言われてしまえば、否応なしに身体中が熱を帯び始める。
たったこれだけの事だと言うのに、身も心も全てが溶かされていく様な気がした。
「……、――っ」
周りの人の羨ましがる様な声が耳に入ってきた。途端、平静を取り戻し、今度は恥ずかしさの余りに顔を真っ赤にしながらジャックの胸元を押し返した。
「そ、そんな大袈裟な。……たっ、たった一週間程度じゃない」
「この間はたった一週間でも心配で居てもたってもいられなかったくせに」
意地の悪い顔をして叶子の顔を覗き込みながらジャックは笑った。
何故今ここでそんな意地悪な事言うのだろかと心の中で叫びながらも、否定できない叶子は俯きながら必死に弁明した。
「──?」
「あ、あ、あれは! 電話も無かったか……っらぁ!?」
両頬を大きな手で包まれ俯いていた顔を無理に上げさせられる。ジャックと視線を合わせると彼の眉間にみるみる皺が刻み込まれた。
「な、に?」
一段と周りの声が騒がしくなるのが見ずしても判り、もういっそのことこのまま溶けて無くなってしまいたいとさえ思った。
「大分飲んだの? 真っ赤だよ?」
「ちっ、違う!」
確かに飲んでるから少しは赤いのかも知れないけれど、今顔が赤いのは明らかにジャックの所為だ。そう言ってちゃんと理由も説明したいけれど、今の彼にちゃんと伝わるのだろうか。
「違うの? じゃあ熱でもあるとか?」
叶子が頭を悩ませている内に勝手に自己判断したのか、額にかかる前髪を上へと掻き揚げられると端正な顔立ちが近づいてきた。
(いやっ、ち、ちょっと! 流石にこんな人前じゃ――無理!)
「な、な、な、無い無い! 熱なんてこれっぽっちも無いよ!」
「そう? でも、さっきより又一段と赤くなって来てるよ」
慌てて背中を反らし更に頬を染めている叶子に追い討ちを掛けるように、又もや頬を両手で包まれてじーっと見つめられた。心配そうにしていた彼の目が徐々に緩んでいく。甘い顔を急に見せつけられ、一瞬ここが何処だか忘れてしまっていた。
「──。……!」
ハッと手放していた意識を戻す。これではいけないと、周囲から注がれる視線に全く気付いていない様子のジャックに、何とか今の状況を把握してもらおうと必死になった。
「ちっ、ちがっ! ま、まわり、周りを見て!」
「??」
そう言われたジャックは素直に周囲を見回す。すると、店内の女性達がうっとりした目でジャックを見つめ、色めき立っているのがわかった。
それに応じるかのようにニッコリと微笑むと、『キャー』と黄色い声があちらこちらで上がっている。
ジャックは慣れているのだろう、いつもの事だと言わんばかりに叶子に視線を戻すと、小さく首を傾げていた。
「いや、だからね──、あ」
ふと、側で立ちほうけている友人に気付き、慌てて彼の手から逃れた。
「あ、お、お帰り」
「ただいま。遅くなってごめんね、トイレ混んでたんだ」
心なしか絵里香の顔が引きつっている様に見える。いきなりこんな姿を見せつけられれば誰でも引くだろうなと思いながらも、とりあえずジャックを紹介した。
「あ、絵里香。こちらが……」
「こんばんは。初めま――あれ?」
「こんばんは、ジャックさん。ご無沙汰してます」
「え?」
叶子はキョトンとした顔で、何度もジャックと絵里香の顔を交互に見ていた。
店中に絵里香の驚きの声が響きる。自分が思っていたより大声を出してしまった事に絵里香は気付いたのか、慌てて両手で口を塞いで周りに小さく頭を下げた。
「もう、絵里香ってば」
「だって!」
今日は絵里香に誘われて仕事帰りに飲みに来た。どうやら絵里香にも大事な話がある様だったが、まずは挨拶代わりにした叶子の恋の進展状況を質問したのだが、叶子の返答が予想していなかったものだった所為か、先程の様な大声を張り上げてしまう失態を犯してしまった。
「マジでー!?」
頭を低くして目をまん丸に見開きながら小さな声で再確認する絵里香に、叶子は少し恥ずかしそうに上目遣いで小さく頷いた。
「ちょ、ちょっと待って、頭の中整理するね。――えと、……ご飯作って、一緒にお風呂に入ってー」
「ソコ違う! 一緒にお風呂なんて入ってない!」
「ああ……で、お酒飲んでいい感じになって……でも、彼は途中で寝ちゃったんだよね?」
「うん」
「んで? 次の朝? 再チャレンジ?」
「してないっってば」
つい先ほど一通り事の流れを説明したと言うのに、絵里香の頭の中では事実が色々と塗り替えられている。絵里香の妄想が激しすぎて叶子は思わず噴き出した。
「あ、次の日の夜に嫌がる彼を無理矢理連れ込んで――しちゃったと?」
「なんか話が歪曲されてる様な気がするけど……まぁそんなトコ」
「ええええー!? カナってそんなタイプだったっけぇー?」
頭をブンブンと振り、さも『とんでもない!』とでも言うように否定している。
「だよねぇー。……なんで?」
「なんでって言われても。自分でも良くわかんないのに」
「それだけハマっちゃってるのだろうねー、その彼に」
そう言ってテーブルの上に置いてある叶子の携帯電話を指差した。
「?」
「だって誰と飲む時もそうだけど、カナは恋人がいてもテーブルに携帯電話置いたりしないじゃん」
「えーっと……。どういう事?」
「もう! 鈍いなぁ!」
腕を組んで絵里香は頬を膨らませた。
「彼からの電話、待ってるんでしょ? 掛かってきてもすぐ取れるように目のつくとこに置いて」
「……。」
そう言われるとそうかもしれない。
今までこういった席では携帯電話はずっとバックの中にしまい込んだままだったのに、無意識のうちにすぐ手に取れる所に置いていたのだ。
絵里香によってその事に気付かされると、絵里香には悪いが無性に彼に会いたい気持ちが膨らんできた。
「会ってみたいなぁ、カナの彼」
「そのうち、ね」
その言葉に反応したかのように彼女の携帯電話がブルブルと震えだした。
当然の事ながら、二人の視線がそこに集中する。
「彼?」
「うん。……ちょっといいかな?」
「もちろん!」
自分の幸せを心から願ってくれている親友の笑顔にホッとしながら電話に出た。
「あ、今友達と飲みに来てて……うん悪いけど」
ああ、何とタイミングが悪いのだろう。あれから思っていた通りジャックとは全然会っていない。なのに『今なら少し会える』だなんて。本当にツイてない。
流石に絵里香の目の前で『今から行く』何て言えない叶子は、残念そうにして彼に断りを入れた。
「ねね、逢いたいって言ってるの? ならココに呼んじゃいなよ!」
しかし、その会話にピンと来たのか絵里香は、電話の向こうの彼に聞こえない様に気遣ってか小さな声で言った。
突然の事で動揺したが、いずれは絵里香にも会ってもらいたいとは思っていた叶子は思い切ってジャックに訊ねてみる事にした。
「うん。じゃあ後で」
電話を終えた後、絵里香が身を乗り出して来た。
「どう? 彼来るって?」
「うん、『まだ仕事中だから少ししか居れないけど』って」
「ぎゃー! 大変! メイク直ししなきゃ!」
「何それっ」
喜んで彼を招き入れようとしてくれる友人のその優しさに、心が温まった。
◇◆◇
しばらくすると、突然店の中がざわつき始め、店内にいる人の視線が一箇所に集中した。
その先を見ると膝下まであるブラックコートの襟を立て、革の黒い手袋を手から外しながら、店の入り口でキョロキョロと叶子を探しているジャックが居た。
店の従業員ですらそんな彼の姿に目を奪われている。『いらっしゃいませ』の挨拶をするところか、明らかに誰かを探している風だというのに声を掛ける事すら忘れてしまっている様子だった。
(やっぱり目立つ人だなぁ)
変な緊張感を感じつつもおずおずと叶子が手を上げると、それに気付いたジャックの顔に一気に笑顔が溢れ出す。コツコツと革靴を鳴らしながら早足で歩いてきた。
瞬間、人々の嘆きの声が聞こえると共に、予想通り皆の視線が容赦なく突き刺さる。女性同士のグループは勿論、恋人同士ですら目の前にいる彼氏そっちのけで、女の子が悔しそうな表情を浮かべていた。
もう、こういったお店の中で待ち合わせをするのは止めておこうと、固く心に誓った。
「こっちへ座っ――」
「逢いたかったよ」
席を詰める為に立ち上がった途端、ジャックの長い腕が叶子を包み込んだ。耳元で囁く様にしてそう言われてしまえば、否応なしに身体中が熱を帯び始める。
たったこれだけの事だと言うのに、身も心も全てが溶かされていく様な気がした。
「……、――っ」
周りの人の羨ましがる様な声が耳に入ってきた。途端、平静を取り戻し、今度は恥ずかしさの余りに顔を真っ赤にしながらジャックの胸元を押し返した。
「そ、そんな大袈裟な。……たっ、たった一週間程度じゃない」
「この間はたった一週間でも心配で居てもたってもいられなかったくせに」
意地の悪い顔をして叶子の顔を覗き込みながらジャックは笑った。
何故今ここでそんな意地悪な事言うのだろかと心の中で叫びながらも、否定できない叶子は俯きながら必死に弁明した。
「──?」
「あ、あ、あれは! 電話も無かったか……っらぁ!?」
両頬を大きな手で包まれ俯いていた顔を無理に上げさせられる。ジャックと視線を合わせると彼の眉間にみるみる皺が刻み込まれた。
「な、に?」
一段と周りの声が騒がしくなるのが見ずしても判り、もういっそのことこのまま溶けて無くなってしまいたいとさえ思った。
「大分飲んだの? 真っ赤だよ?」
「ちっ、違う!」
確かに飲んでるから少しは赤いのかも知れないけれど、今顔が赤いのは明らかにジャックの所為だ。そう言ってちゃんと理由も説明したいけれど、今の彼にちゃんと伝わるのだろうか。
「違うの? じゃあ熱でもあるとか?」
叶子が頭を悩ませている内に勝手に自己判断したのか、額にかかる前髪を上へと掻き揚げられると端正な顔立ちが近づいてきた。
(いやっ、ち、ちょっと! 流石にこんな人前じゃ――無理!)
「な、な、な、無い無い! 熱なんてこれっぽっちも無いよ!」
「そう? でも、さっきより又一段と赤くなって来てるよ」
慌てて背中を反らし更に頬を染めている叶子に追い討ちを掛けるように、又もや頬を両手で包まれてじーっと見つめられた。心配そうにしていた彼の目が徐々に緩んでいく。甘い顔を急に見せつけられ、一瞬ここが何処だか忘れてしまっていた。
「──。……!」
ハッと手放していた意識を戻す。これではいけないと、周囲から注がれる視線に全く気付いていない様子のジャックに、何とか今の状況を把握してもらおうと必死になった。
「ちっ、ちがっ! ま、まわり、周りを見て!」
「??」
そう言われたジャックは素直に周囲を見回す。すると、店内の女性達がうっとりした目でジャックを見つめ、色めき立っているのがわかった。
それに応じるかのようにニッコリと微笑むと、『キャー』と黄色い声があちらこちらで上がっている。
ジャックは慣れているのだろう、いつもの事だと言わんばかりに叶子に視線を戻すと、小さく首を傾げていた。
「いや、だからね──、あ」
ふと、側で立ちほうけている友人に気付き、慌てて彼の手から逃れた。
「あ、お、お帰り」
「ただいま。遅くなってごめんね、トイレ混んでたんだ」
心なしか絵里香の顔が引きつっている様に見える。いきなりこんな姿を見せつけられれば誰でも引くだろうなと思いながらも、とりあえずジャックを紹介した。
「あ、絵里香。こちらが……」
「こんばんは。初めま――あれ?」
「こんばんは、ジャックさん。ご無沙汰してます」
「え?」
叶子はキョトンとした顔で、何度もジャックと絵里香の顔を交互に見ていた。