光のもとでⅠ
11～16 Side Akito 03
少し歩くと小道は途切れ、道のない森の中を行く。
適度に手の入った森は草が鬱蒼とすることもなく視界は良好。
ただ、木の根がゴツゴツとしていて歩くのに注意は必要。
樹齢もそこそこ、太くも細くもない高い木が立ち並ぶここは彼女にとって格好の場所じゃないだろうか。
森を抜けると広場に出た。
この森はパレスの敷地内ではあるものの、ここまで客が来ることはないらしい。
「ここでどうかな？」
「はい！」
邪気のない笑顔に毒気を抜かれる。
「本当に森林浴が好きなんだね」
「それはもう……」
嬉しそうに頬を緩める。
「少し早いけどお昼にしようか」
彼女は元気よく頷き、俺が持っていた荷物へ手を伸ばす。
すると、表地がタータンチェックの布のラグを広げ始めた。それはほどよく使いこまれている。
「どうぞ」と勧められてラグに座ると、さっそくランチボックスを取り出した。
飲み物は俺にコーヒーと彼女にはハーブティー。
「これ、秋斗さんのセレクトですか？」
「そう。美味しいよ？」
ランチボックスを差し出すと、彼女は一番端の一切れを手に取った。
手にした途端、パンの感触に驚いたのか目を瞠る。そして、今度は潰さないように気をつけて手に持った。
揚げ立ての衣にサクリと歯を立てる。
美味しいものを口にすると本当に頬が緩むんだな。
これはカメラにおさめたい。そう思って胸からカメラを取り出しかまえる。
「すごく、美味しいです……」
こちらを向いた瞬間にシャッターを切ると、彼女は自己申告どおりに固まった。
「本当だ、レンズ向けると固まるね？」
「……だからダメですって言ったのにっ」
ムキになるところがかわいくて、
「わかったわかった。とりあえずはこれを美味しくいただこう」
「……はい」
再度食べ始めた彼女は、にこにこと笑いながら美味しそうにサンドイッチとサラダを食べていた。
食べている最中だけど、
「楽しい？」
訊かずにはいられなかった。
彼女は口に入っているものをきちんと飲み込んでから、
「楽しいです」
と、警戒心を微塵も含まない笑顔を向けてくれた。
「良かった」と答えはしたものの、内心はその笑顔に見入っていた。
なんだ、これ……。
たかが笑顔に心臓鷲づかみにされそうって、何――。
落ち着くためにコーヒーに手を伸ばし、苦い液体であれこれ戒める。
それでもなお、彼女の笑顔が瞼に染み付いて離れなかった。
食後、ハーブティーを飲み終わった彼女は写真を撮りに行くことにしたらしい。
「私、熱中してしまうと時間を忘れてしまうので……。いい加減にしろ、と思ったら声をかけてくださいね？」
「了解。僕はここで寝てるから、好きなだけ撮ってくるといい」
「はい！」
自分の状態を確認すべく、もう少し彼女を眺めていたい気もしたけれど、今日はまだ始まったばかりだ。
俺は仮眠でもとるかな。
ラグに横になると、彼女はバッグをガサゴソとし始める。
何をしているのかと見てみると、バッグの中から日焼け止めを取り出した。
「すみません。これ塗ったらすぐにいなくなるので、ゆっくり休んでくださいね」
「日焼け止め？」
「はい。さすがに赤くなって痛い思いはしたくないので……」
「あぁ、赤くなっちゃうタイプなんだね」
予想はできなくもない。彼女はえらく色白だから。
髪の毛も瞳の色も黒を薄めたような色だ。
首の後ろを塗るのに長い髪を左にまとめ始めた彼女を見て、少しいたずら心が芽生えた。
「持ってるよ」
起き上がり、彼女の髪の毛を手に取る。
手櫛を入れると、するりと指の間を髪が滑っていく。
この長さで手櫛が通ることがすごいと思う。
「きれいな髪の毛だね」
わざと耳もとで囁く。髪の毛を梳く振りをして、ときどきうなじに触れながら……。
彼女は無言だったけれど、早々に日焼け止めを塗り終えようとしているのがよくわかる。
顔から耳、ついには首筋まで赤く染まっていくのだから。なんて素直に反応してくれるんだろうか。
「相変わらずだね」
言うと、恐る恐る、といったふうにこちらを振り向いた。
「顔も耳も、首筋まで真っ赤だよ」
クスリと笑うと、
「……秋斗さん、意地悪です……」
彼女はむくれたまま森へと逃げていってしまった。
「からかいすぎたかな？」
少しずつ小さくなる華奢な後ろ姿を見て思う。
まだ幼いとすら思うのに……その子の笑顔に魅了された。
こんなにのんびりとした時間を過ごすのはいつぶりだろう。
最近は休みという休みも何かしら仕事をしていたし、見合いをねじ込まれることも多く、ろくな休みはなかった。
見合いをするたびに笑顔でかわすのも疲れてきた。
そう思えば、湊ちゃんがどうやってそれらを振り切って、今自由の身でいられるのかが不思議でならない。
「今度、ご教授願いたいものだ……」
結婚なんてするつもりはない。
両親を見ていていつも不思議に思う。相手の何をそんなに好きになるのか、と。
母さんは父さんの職場についていくことも多いが、朝から晩まで一緒にいて飽きないものか、と。
俺には常時誰かと一緒にいる、という想像をすることができない。
でも、彼女の笑顔ならずっと見ていても飽きないかもしれない。
緑の葉を茂られる隙間から、穏やかな光が差し込む。
ジャケットの内ポケットに入れた携帯が一定のテンポで振動を伝える。
バイタルを見ていないときは、脈拍と連動して震えるように設定した。……自分の携帯のみに追加した機能。
彼女の鼓動を感じていると、何かに包まれている気がした。
穏やかな光を体に受け、サワサワとそよぐ音を聞いていたら気づかないうちに眠りに落ちていた。
どのくらい経ってか、彼女の気配を感じた。
俺を起こさないように、音を立てないようにしているのがわかる。
しかし、痛いくらいの視線は注がれたまま。
……これは、気づかない振り、かな。
目を閉じたまま、聴覚だけに神経を集中させる。と、パシャとシャッターを切る音がした。
また撮られたな……。
カメラを置くような音がしたものの、視線は張り付いたまま。
それはすぐに外され、ガサゴソと何かを取り出す音。
静かになったと思ったら、ハープの音が聞こえだした。
何度か音を合わせると、俺が聞いたことのない曲を奏でだす。
弾いては止まり、弾いては止まり――けれど、間違えて弾くのをやめるというわけではなさそうだ。
ちらり、と彼女をうかがい見るとメモ帳に楽譜を書いているようだった。
弾いては書く、を繰り返しているところを見ると、今弾いているものは即興演奏なのかもしれない。
澄んだ音が風の音に混じって、現実離れした空間をさらに幻想的なものにする。
ねぇ、君は今何を感じてる？ 何を思って曲を奏でるのかな。
訊いたら君は答えてくれる？
小一時間ハープの音を聞いていた。
演奏が途切れてしばらくすると、隣から小さな寝息が聞こえてきた。
……お嬢さん、もしかして俺の隣で寝ていたりしますか？
柄にもなく恐る恐る目を開けて確認する。と、無防備に寝転がる彼女がいた。
サンダルを脱いだ足には少し土がついていて、森の中を素足で歩いてきたことがうかがえる。
ついさっきまで弾いていた小型ハープを抱えるようにして眠っていた。
警戒を解いてくれたのは嬉しいけれど……。なんだか気分は据え膳……。
さすがに手は出さないけど……。
ロングスカートの裾が膝の辺りまでめくれ上がっていて、白く細いきれいな足が露になっていた。
全体的に細いのに、腰はきちんとくびれていて、意外と胸が豊かなのには驚いた。
長い髪の合間から見えるうなじはそそるものがある。
華奢ではあるが幼児体型ではないし、反応がやや素直すぎて幼くも見えるが、決して頭が足りないわけでもない。
どちらかと言えば、頭はいいほうだろう。
自分のことには少々疎いようではあるが、人のことを気遣える優しさは多分に持っている。
取り立てて何が、というものを明確にはできない。でも、目の前に眠るこの子を欲しいと思う自分に気づいてしまった。
先日まで、司と翠葉ちゃんがうまくいけばいいと思っていたにも関わらず、今はその相手に自分が、と思っている。
どうしてだろう……。
何がそんなに気になる？ 何に惹かれた？
どこに、惚れた――？
適度に手の入った森は草が鬱蒼とすることもなく視界は良好。
ただ、木の根がゴツゴツとしていて歩くのに注意は必要。
樹齢もそこそこ、太くも細くもない高い木が立ち並ぶここは彼女にとって格好の場所じゃないだろうか。
森を抜けると広場に出た。
この森はパレスの敷地内ではあるものの、ここまで客が来ることはないらしい。
「ここでどうかな？」
「はい！」
邪気のない笑顔に毒気を抜かれる。
「本当に森林浴が好きなんだね」
「それはもう……」
嬉しそうに頬を緩める。
「少し早いけどお昼にしようか」
彼女は元気よく頷き、俺が持っていた荷物へ手を伸ばす。
すると、表地がタータンチェックの布のラグを広げ始めた。それはほどよく使いこまれている。
「どうぞ」と勧められてラグに座ると、さっそくランチボックスを取り出した。
飲み物は俺にコーヒーと彼女にはハーブティー。
「これ、秋斗さんのセレクトですか？」
「そう。美味しいよ？」
ランチボックスを差し出すと、彼女は一番端の一切れを手に取った。
手にした途端、パンの感触に驚いたのか目を瞠る。そして、今度は潰さないように気をつけて手に持った。
揚げ立ての衣にサクリと歯を立てる。
美味しいものを口にすると本当に頬が緩むんだな。
これはカメラにおさめたい。そう思って胸からカメラを取り出しかまえる。
「すごく、美味しいです……」
こちらを向いた瞬間にシャッターを切ると、彼女は自己申告どおりに固まった。
「本当だ、レンズ向けると固まるね？」
「……だからダメですって言ったのにっ」
ムキになるところがかわいくて、
「わかったわかった。とりあえずはこれを美味しくいただこう」
「……はい」
再度食べ始めた彼女は、にこにこと笑いながら美味しそうにサンドイッチとサラダを食べていた。
食べている最中だけど、
「楽しい？」
訊かずにはいられなかった。
彼女は口に入っているものをきちんと飲み込んでから、
「楽しいです」
と、警戒心を微塵も含まない笑顔を向けてくれた。
「良かった」と答えはしたものの、内心はその笑顔に見入っていた。
なんだ、これ……。
たかが笑顔に心臓鷲づかみにされそうって、何――。
落ち着くためにコーヒーに手を伸ばし、苦い液体であれこれ戒める。
それでもなお、彼女の笑顔が瞼に染み付いて離れなかった。
食後、ハーブティーを飲み終わった彼女は写真を撮りに行くことにしたらしい。
「私、熱中してしまうと時間を忘れてしまうので……。いい加減にしろ、と思ったら声をかけてくださいね？」
「了解。僕はここで寝てるから、好きなだけ撮ってくるといい」
「はい！」
自分の状態を確認すべく、もう少し彼女を眺めていたい気もしたけれど、今日はまだ始まったばかりだ。
俺は仮眠でもとるかな。
ラグに横になると、彼女はバッグをガサゴソとし始める。
何をしているのかと見てみると、バッグの中から日焼け止めを取り出した。
「すみません。これ塗ったらすぐにいなくなるので、ゆっくり休んでくださいね」
「日焼け止め？」
「はい。さすがに赤くなって痛い思いはしたくないので……」
「あぁ、赤くなっちゃうタイプなんだね」
予想はできなくもない。彼女はえらく色白だから。
髪の毛も瞳の色も黒を薄めたような色だ。
首の後ろを塗るのに長い髪を左にまとめ始めた彼女を見て、少しいたずら心が芽生えた。
「持ってるよ」
起き上がり、彼女の髪の毛を手に取る。
手櫛を入れると、するりと指の間を髪が滑っていく。
この長さで手櫛が通ることがすごいと思う。
「きれいな髪の毛だね」
わざと耳もとで囁く。髪の毛を梳く振りをして、ときどきうなじに触れながら……。
彼女は無言だったけれど、早々に日焼け止めを塗り終えようとしているのがよくわかる。
顔から耳、ついには首筋まで赤く染まっていくのだから。なんて素直に反応してくれるんだろうか。
「相変わらずだね」
言うと、恐る恐る、といったふうにこちらを振り向いた。
「顔も耳も、首筋まで真っ赤だよ」
クスリと笑うと、
「……秋斗さん、意地悪です……」
彼女はむくれたまま森へと逃げていってしまった。
「からかいすぎたかな？」
少しずつ小さくなる華奢な後ろ姿を見て思う。
まだ幼いとすら思うのに……その子の笑顔に魅了された。
こんなにのんびりとした時間を過ごすのはいつぶりだろう。
最近は休みという休みも何かしら仕事をしていたし、見合いをねじ込まれることも多く、ろくな休みはなかった。
見合いをするたびに笑顔でかわすのも疲れてきた。
そう思えば、湊ちゃんがどうやってそれらを振り切って、今自由の身でいられるのかが不思議でならない。
「今度、ご教授願いたいものだ……」
結婚なんてするつもりはない。
両親を見ていていつも不思議に思う。相手の何をそんなに好きになるのか、と。
母さんは父さんの職場についていくことも多いが、朝から晩まで一緒にいて飽きないものか、と。
俺には常時誰かと一緒にいる、という想像をすることができない。
でも、彼女の笑顔ならずっと見ていても飽きないかもしれない。
緑の葉を茂られる隙間から、穏やかな光が差し込む。
ジャケットの内ポケットに入れた携帯が一定のテンポで振動を伝える。
バイタルを見ていないときは、脈拍と連動して震えるように設定した。……自分の携帯のみに追加した機能。
彼女の鼓動を感じていると、何かに包まれている気がした。
穏やかな光を体に受け、サワサワとそよぐ音を聞いていたら気づかないうちに眠りに落ちていた。
どのくらい経ってか、彼女の気配を感じた。
俺を起こさないように、音を立てないようにしているのがわかる。
しかし、痛いくらいの視線は注がれたまま。
……これは、気づかない振り、かな。
目を閉じたまま、聴覚だけに神経を集中させる。と、パシャとシャッターを切る音がした。
また撮られたな……。
カメラを置くような音がしたものの、視線は張り付いたまま。
それはすぐに外され、ガサゴソと何かを取り出す音。
静かになったと思ったら、ハープの音が聞こえだした。
何度か音を合わせると、俺が聞いたことのない曲を奏でだす。
弾いては止まり、弾いては止まり――けれど、間違えて弾くのをやめるというわけではなさそうだ。
ちらり、と彼女をうかがい見るとメモ帳に楽譜を書いているようだった。
弾いては書く、を繰り返しているところを見ると、今弾いているものは即興演奏なのかもしれない。
澄んだ音が風の音に混じって、現実離れした空間をさらに幻想的なものにする。
ねぇ、君は今何を感じてる？ 何を思って曲を奏でるのかな。
訊いたら君は答えてくれる？
小一時間ハープの音を聞いていた。
演奏が途切れてしばらくすると、隣から小さな寝息が聞こえてきた。
……お嬢さん、もしかして俺の隣で寝ていたりしますか？
柄にもなく恐る恐る目を開けて確認する。と、無防備に寝転がる彼女がいた。
サンダルを脱いだ足には少し土がついていて、森の中を素足で歩いてきたことがうかがえる。
ついさっきまで弾いていた小型ハープを抱えるようにして眠っていた。
警戒を解いてくれたのは嬉しいけれど……。なんだか気分は据え膳……。
さすがに手は出さないけど……。
ロングスカートの裾が膝の辺りまでめくれ上がっていて、白く細いきれいな足が露になっていた。
全体的に細いのに、腰はきちんとくびれていて、意外と胸が豊かなのには驚いた。
長い髪の合間から見えるうなじはそそるものがある。
華奢ではあるが幼児体型ではないし、反応がやや素直すぎて幼くも見えるが、決して頭が足りないわけでもない。
どちらかと言えば、頭はいいほうだろう。
自分のことには少々疎いようではあるが、人のことを気遣える優しさは多分に持っている。
取り立てて何が、というものを明確にはできない。でも、目の前に眠るこの子を欲しいと思う自分に気づいてしまった。
先日まで、司と翠葉ちゃんがうまくいけばいいと思っていたにも関わらず、今はその相手に自分が、と思っている。
どうしてだろう……。
何がそんなに気になる？ 何に惹かれた？
どこに、惚れた――？
