光のもとでⅠ
03
買い物を終えてホテルに着いたのは五時四十分だった。
「まだ少し時間があるからケーキでも食べようか」
まるでお日様みたいな笑顔を向けられて、「はい」と即答する。
この笑顔はとても好きだけど、つられてなんでも「はい」と答えそうになるから少し怖い。
ティーラウンジの一角に通されると、きれいな女の人がやってきた。
淡い水色の清楚なワンピースに身を包み、髪の毛は上品なこげ茶できれいにカールしてある。
どこにも隙がなく、お嬢様、という雰囲気が漂う人。
「秋斗さんが女子高生とご一緒だなんてどうなさったのですか? 少々不釣合いに見えますが……」
「雅嬢、ごきげんよう」
秋斗さんはいつもと変わらずスマートな対応をする。
「そちらは?」
私を見て訊かれると、
「静さんのお客様です。今日はエスコートを賜りお連れしたしだいです」
秋斗さんは私とその人の間に立ち位置をずらした。
まるで、私をかばうような仕草になんだろう? と思う。
「あら、静さんの……? それにしてはずいぶんとかわいらしいお客人だこと。でも、秋斗さんの意中の相手ではないようなので安心しました」
そう言うと、その人はその場から立ち去った。
絶えず笑みを浮かべていた。でも、声や視線にはどこか刺々しさを感じた。
「……意中の子、ね。雅嬢に会わせるつもりは毛頭ないんだけど――」
秋斗さんは振り返り、
「翠葉ちゃん、ごめんね。静さんのお客様って言っておけば直接的な危害はないと思うから」
言われて、なんて返事をしようか考えてしまう。
「いえ、気にはしていませんから……でも――」
自然と目が追いかけていた後ろ姿。
ハイヒールが似合う人。
「あの人は秋斗さんが好きなのでしょうね……」
口にしてはっとする。
「ごめんなさいっ……」
「別にかまわないけど……。あまり翠葉ちゃんの口からは聞きたくないかな」
秋斗さんには珍しく、不機嫌さを露にした。
ソファに座るよう促されたとき、先日お世話になった園田さんに声をかけられた。
「秋斗様、翠葉お嬢様、ようこそお越しくださいました。オーナーからお話はうかがっております。どうぞこちらへ……」
ティーラウンジを出てフロントの前を通り、数機並ぶエレベーターの一番奥のエレベーターに案内される。
フロント前を通ったとき、雅さんという人の視線を感じた。
その視線を遮るように秋斗さんが隣を歩いてくれたけれど、「なんであなたが!?」というような目で見られていたと思う。
エレベーターに乗ると、園田さんは階数ボタンの下にある鉄製のプレートにカードキーを通し暗証番号を入力した。すると、高速エレベーターが上昇を始める。
「これからご案内いたしますのは、オーナーのプライベートフロアとなります」
私は小さく頷き、秋斗さんは目を見開いた。
「どうかしたんですか?」
訊くと、
「翠葉ちゃん……君はつくづくすごい子だと思うよ」
「え……?」
「オーナーのプライベートフロア、つまり四十一階には僕ですら招かれたことはない」
そんなにすごいことなのだろうか、と園田さんに視線を移すと、園田さんはクスリと笑った。
「そうですね。私がプライベートフロアにご案内したことがあるのは会長夫妻のほかに五名ほどです。当ホテルのスタッフでは澤村以外の出入りは禁じられております」
何もわからない私にもわかるように言葉を添えてくれた。
でも、その説明をもってしても、私にはどれくらいすごいことなのかはわかりかねる。
何を基準に判断したらいいのかがわからない。ただ、静さんが外界と隔絶している空間であることはわかった気がする。
四十一階に着き、エレベーターホールを抜けると大きなドアがあった。
園田さんがドアをノックして中の応答を待つ。「どうぞ」という声が聞こえてくるとドアを開いた。
室内の突き当たりはホテルらしく全面ガラス張り。加えて、地上四十一階となれば目の前には何も建っておらず視界を遮るものはない。
ドアの近くから窓の外を見ると、地上が一切見えないこともあり、空にいる気すらする。
部屋の中は外国のおうち、といった感じ。
とても広く、ひとつひとつの家具も大きめだけれど、その大きさを全く感じさせない。
逆に小ぶりな家具を置いたら、そのほうが浮いてしまっただろう。
床は白い大理石で、そこら中がピカピカしている。
大きなデスクに着いていた静さんが立ち上がりこちらへやってくる。と、
「ようこそ、私の仮住まいへ。すぐにケーキの用意をさせるからちょっと待ってね」
「お久しぶりです……。ここは仮住まいなんですか?」
「あぁ、本宅はあくまでもマンションなんだ。忙しすぎてあまり帰れないんだけどね」
「先日はどうも」と秋斗さんが挨拶をすると、
「今日は翠葉ちゃんを連れてきてくれてありがとう」
にこやかに言う静さんに対し、秋斗さんは神妙な顔をしていた。
「下で雅嬢に会いました。ここに出入りしていることはご存知でしたか?」
「あぁ、話は聞いている。うちのスタッフも少々困っているようだ。ターゲットは秋斗らしいがな。秋斗がホテルを利用する日を調べて来ているようだ。スタッフに口止めはしているんだが、最近ではバックヤードにも出入りするようになったとか」
「そうと知っていれば今日の会議は本社でしたものを……。静さん、そういう情報は早めに教えてください。それに好き勝手させておくなど静さんらしくもない……」
こんなに嫌そうな顔をしている秋斗さんを初めて見た。
静さんの表情は変わることなく穏やかだ。
「お灸の据えどころを決めかねているところだ」
「……とりあえず、翠葉ちゃんを静さんの庇護下に」
「おや、早速何か突っかかってきたというところか?」
「あぁいう身内が一番面倒なんです」
と、心底嫌そうに答える。
ふたりをじっと見ていると、それに気づいた静さんが私ににこりと笑いかけてくれた。
「秋斗には藤宮内外の女性からこぞって見合い話がきてるんだ。だから、面倒な人間がそこかしこにいるけれど、何か言ってきてもあまり気にしなくていいよ。困ったことになりそうだったらいつでも私の携帯を鳴らしてくれてかまわないから」
言うと、秋斗さんのほうへ視線を戻した。
「GPSは?」
「起動してあります」
途端に物騒な話に思えてきたのは気のせいだろうか……。
秋斗さんが腕時計を確認したので、私もつられて懐中時計を見る。と、六時まであと数分だった。
「じゃ、僕は会議に行くけど……。翠葉ちゃん、またデートしようね」
最後にはいつもの笑顔を向けられた。
その笑顔にほっとする。
「良かった……」
「え?」
「……珍しく眉間にしわ寄ってました」
「っ……ごめん、気づかなかった」
「いえ……。ただ、ものすごく珍しいものを見た気はしましたけど」
クスリ、と笑みを添えると、
「で、またデートはしてもらえるのかな?」
と、甘やかな笑みを向けられた。
その笑顔は好きだけど、でも少し苦手……。
愛想笑いをすると、
「やっぱりまだデートとは思ってくれないんだね」
「……どこからがデートでどこからがデートじゃないのか、今度その定義を教えてください」
「わかった。じゃ、今度ね」
そう言うと、静さんに一礼して入ってきたドアを出ていった。
ドアから静さんに視線を戻すと、静さんは顎に右手の人差し指と親指を添えていた。
「なるほどねぇ……。秋斗の片思いか」
言われてドキリとする。
「……どうでしょう? 年の差九つですし、きっと妹みたいなものかと……」
できるだけ自然に笑って答えたつもりだった。けれど、
「あいつの本気をそんなふうにとっているとえらい目に遭うよ?」
にやりと笑みを深められた。
「まだ少し時間があるからケーキでも食べようか」
まるでお日様みたいな笑顔を向けられて、「はい」と即答する。
この笑顔はとても好きだけど、つられてなんでも「はい」と答えそうになるから少し怖い。
ティーラウンジの一角に通されると、きれいな女の人がやってきた。
淡い水色の清楚なワンピースに身を包み、髪の毛は上品なこげ茶できれいにカールしてある。
どこにも隙がなく、お嬢様、という雰囲気が漂う人。
「秋斗さんが女子高生とご一緒だなんてどうなさったのですか? 少々不釣合いに見えますが……」
「雅嬢、ごきげんよう」
秋斗さんはいつもと変わらずスマートな対応をする。
「そちらは?」
私を見て訊かれると、
「静さんのお客様です。今日はエスコートを賜りお連れしたしだいです」
秋斗さんは私とその人の間に立ち位置をずらした。
まるで、私をかばうような仕草になんだろう? と思う。
「あら、静さんの……? それにしてはずいぶんとかわいらしいお客人だこと。でも、秋斗さんの意中の相手ではないようなので安心しました」
そう言うと、その人はその場から立ち去った。
絶えず笑みを浮かべていた。でも、声や視線にはどこか刺々しさを感じた。
「……意中の子、ね。雅嬢に会わせるつもりは毛頭ないんだけど――」
秋斗さんは振り返り、
「翠葉ちゃん、ごめんね。静さんのお客様って言っておけば直接的な危害はないと思うから」
言われて、なんて返事をしようか考えてしまう。
「いえ、気にはしていませんから……でも――」
自然と目が追いかけていた後ろ姿。
ハイヒールが似合う人。
「あの人は秋斗さんが好きなのでしょうね……」
口にしてはっとする。
「ごめんなさいっ……」
「別にかまわないけど……。あまり翠葉ちゃんの口からは聞きたくないかな」
秋斗さんには珍しく、不機嫌さを露にした。
ソファに座るよう促されたとき、先日お世話になった園田さんに声をかけられた。
「秋斗様、翠葉お嬢様、ようこそお越しくださいました。オーナーからお話はうかがっております。どうぞこちらへ……」
ティーラウンジを出てフロントの前を通り、数機並ぶエレベーターの一番奥のエレベーターに案内される。
フロント前を通ったとき、雅さんという人の視線を感じた。
その視線を遮るように秋斗さんが隣を歩いてくれたけれど、「なんであなたが!?」というような目で見られていたと思う。
エレベーターに乗ると、園田さんは階数ボタンの下にある鉄製のプレートにカードキーを通し暗証番号を入力した。すると、高速エレベーターが上昇を始める。
「これからご案内いたしますのは、オーナーのプライベートフロアとなります」
私は小さく頷き、秋斗さんは目を見開いた。
「どうかしたんですか?」
訊くと、
「翠葉ちゃん……君はつくづくすごい子だと思うよ」
「え……?」
「オーナーのプライベートフロア、つまり四十一階には僕ですら招かれたことはない」
そんなにすごいことなのだろうか、と園田さんに視線を移すと、園田さんはクスリと笑った。
「そうですね。私がプライベートフロアにご案内したことがあるのは会長夫妻のほかに五名ほどです。当ホテルのスタッフでは澤村以外の出入りは禁じられております」
何もわからない私にもわかるように言葉を添えてくれた。
でも、その説明をもってしても、私にはどれくらいすごいことなのかはわかりかねる。
何を基準に判断したらいいのかがわからない。ただ、静さんが外界と隔絶している空間であることはわかった気がする。
四十一階に着き、エレベーターホールを抜けると大きなドアがあった。
園田さんがドアをノックして中の応答を待つ。「どうぞ」という声が聞こえてくるとドアを開いた。
室内の突き当たりはホテルらしく全面ガラス張り。加えて、地上四十一階となれば目の前には何も建っておらず視界を遮るものはない。
ドアの近くから窓の外を見ると、地上が一切見えないこともあり、空にいる気すらする。
部屋の中は外国のおうち、といった感じ。
とても広く、ひとつひとつの家具も大きめだけれど、その大きさを全く感じさせない。
逆に小ぶりな家具を置いたら、そのほうが浮いてしまっただろう。
床は白い大理石で、そこら中がピカピカしている。
大きなデスクに着いていた静さんが立ち上がりこちらへやってくる。と、
「ようこそ、私の仮住まいへ。すぐにケーキの用意をさせるからちょっと待ってね」
「お久しぶりです……。ここは仮住まいなんですか?」
「あぁ、本宅はあくまでもマンションなんだ。忙しすぎてあまり帰れないんだけどね」
「先日はどうも」と秋斗さんが挨拶をすると、
「今日は翠葉ちゃんを連れてきてくれてありがとう」
にこやかに言う静さんに対し、秋斗さんは神妙な顔をしていた。
「下で雅嬢に会いました。ここに出入りしていることはご存知でしたか?」
「あぁ、話は聞いている。うちのスタッフも少々困っているようだ。ターゲットは秋斗らしいがな。秋斗がホテルを利用する日を調べて来ているようだ。スタッフに口止めはしているんだが、最近ではバックヤードにも出入りするようになったとか」
「そうと知っていれば今日の会議は本社でしたものを……。静さん、そういう情報は早めに教えてください。それに好き勝手させておくなど静さんらしくもない……」
こんなに嫌そうな顔をしている秋斗さんを初めて見た。
静さんの表情は変わることなく穏やかだ。
「お灸の据えどころを決めかねているところだ」
「……とりあえず、翠葉ちゃんを静さんの庇護下に」
「おや、早速何か突っかかってきたというところか?」
「あぁいう身内が一番面倒なんです」
と、心底嫌そうに答える。
ふたりをじっと見ていると、それに気づいた静さんが私ににこりと笑いかけてくれた。
「秋斗には藤宮内外の女性からこぞって見合い話がきてるんだ。だから、面倒な人間がそこかしこにいるけれど、何か言ってきてもあまり気にしなくていいよ。困ったことになりそうだったらいつでも私の携帯を鳴らしてくれてかまわないから」
言うと、秋斗さんのほうへ視線を戻した。
「GPSは?」
「起動してあります」
途端に物騒な話に思えてきたのは気のせいだろうか……。
秋斗さんが腕時計を確認したので、私もつられて懐中時計を見る。と、六時まであと数分だった。
「じゃ、僕は会議に行くけど……。翠葉ちゃん、またデートしようね」
最後にはいつもの笑顔を向けられた。
その笑顔にほっとする。
「良かった……」
「え?」
「……珍しく眉間にしわ寄ってました」
「っ……ごめん、気づかなかった」
「いえ……。ただ、ものすごく珍しいものを見た気はしましたけど」
クスリ、と笑みを添えると、
「で、またデートはしてもらえるのかな?」
と、甘やかな笑みを向けられた。
その笑顔は好きだけど、でも少し苦手……。
愛想笑いをすると、
「やっぱりまだデートとは思ってくれないんだね」
「……どこからがデートでどこからがデートじゃないのか、今度その定義を教えてください」
「わかった。じゃ、今度ね」
そう言うと、静さんに一礼して入ってきたドアを出ていった。
ドアから静さんに視線を戻すと、静さんは顎に右手の人差し指と親指を添えていた。
「なるほどねぇ……。秋斗の片思いか」
言われてドキリとする。
「……どうでしょう? 年の差九つですし、きっと妹みたいなものかと……」
できるだけ自然に笑って答えたつもりだった。けれど、
「あいつの本気をそんなふうにとっているとえらい目に遭うよ?」
にやりと笑みを深められた。