光のもとでⅠ
07
家の前に着くと、玄関から蒼兄が出てきた。
私がシートベルトを外すと、秋斗さんも車のエンジンを切って車を降りる。
「蒼樹、悪い。ちょっとしたトラブルがあって翠葉ちゃんを巻き込むことになった」
「何を言って……」
「一族の厄介なお嬢さんに目をつけられた可能性がある。その件に関しては静さんが動いてくれるようだから厳戒態勢は二週間くらいなものなんだけど。一応、この家のセキュリティレベルを上げさせてほしい」
「かまいませんが……」
蒼兄が先に立ち、家の中へと入る。
蒼兄は三階の書庫から家の設計図関連のファイルを持ってきた。
私がお茶を出すと、
「もう遅いから、翠葉は先にお風呂に入っておいで」
「うん……。じゃぁ、そうするね」
自室に戻りお風呂の支度をする際、ベッド脇に置いてある時計を見ると十時前だった。
「半身浴はやめよう……」
お風呂から上がると、リビングの掛け時計は十時四十分を指していた。
リビングにふたりの姿はないものの、二階から声が聞こえてくるあたり、秋斗さんはまだいるのだろう。
コーヒー淹れて持っていこうかな……。
コーヒーメーカーをセットして一度自室に戻った。
明日の用意を済ませてからリビングに出てくると、コーヒーのいい香りがしていた。
キッチンでコーヒーをカップに注いでいると、二階からふたりが下りてきた。
「粗方終わったから、僕はこれで帰るね」
「あ、今コーヒーを淹れたので飲んでいきませんか?」
すでに手元のカップふたつには淹れたてのコーヒーが注がれている。
「じゃぁ、いただいてから帰ろうかな」
キッチンカウンターの向こうには微笑む秋斗さんがいた。
蒼兄がカウンターからソーサーごと受け取ってくれ、それを秋斗さんが受け取る。と、
「これも朗元の作品?」
言いながらカップをまじまじと見る。
それは緑と灰色が混ざったようなくすんだ色の焼き物。
手触りはザラザラとした質感なのだけど、手にほどよく馴染むカップ。
受け皿となるソーサーは丸ではなく四角。
そんなところもお洒落で好き。
「この人の作品は俺も好きなんです」
蒼兄も自分が持っているカップを見ながら目尻を下げた。
蒼兄が持っているのは紫色っぽい焼き物。
こちらは表面がつるりとしていて、ソーサーの形はほぼ円形。
どことなく歪んだような不器用な円が私のお気に入りだった。
「へぇ……じっくり見ると、意外と奥行き深いものなんだな」
秋斗さんは言いながらじっくりとカップを口へ運んだ。
飲み終わると、
「今度、仕事部屋のカップに加えようかな?」
思えば、あの部屋にある食器はどれをとっても白かった。
あれは秋斗さんの好みなのだろうか?
「秋斗さんは白い食器が好きなんですか?」
「そうだね。ボーンチャイナが好きかな。手触りもそうだけど、何よりも白い食器って一番料理が映える気がして」
「私もそう思います。だから、うちにある食器も基本的には白です」
秋斗さんは首を傾げた。
「それは意外。碧さんが選んだら白っていう色だけに留まらなさそうだけど?」
携帯の設定の件で一度顔を合わせただけだと思うのだけど、その割りにはお母さんのことをよくわかっている。
「秋斗さんの言うとおりです。一緒に買い物に行くと、たいてい意見が割れます」
私が答えると、
「母のセンスの良さは認めるけど、食器に関してはちょっと奇抜すぎて……。煮物とかが似合わない食器になっちゃうので、そこは断固反対してます。だから、うちの食器は基本翠葉が選んだものですよ」
蒼兄がため息をつくと秋斗さんと私が笑う。
気づけば三人とも笑っていた。
こういうのがいいな……。
肩に力が入ってなくて普通に笑えて、一緒にいる空間が心地いい。自分が素でいられる。
素の自分を受け入れてくれる人なら一緒にいたいと思える。
でも、それは"恋"なのかな……? 単なる"安心感"なのかな……。
"恋"はどこから始まるものなんだろう。始まるものなら、終わりも来るのだろうか……。
友達ですら失うのが怖いと思う。
同じくらい大切な人たちであっても、"好きな人"というのはもっと特別な気がして、それを失うときのことを考えると恐ろしくて仕方がない。
好きな人ができると、"明日"という未来が楽しみに思えるようになるのだろうか。それとも、その先にある恐怖に怯えることになるのだろうか。
今までは憧れしか抱かなかったけれど、「意外とドロドロした世界かもよ」と言った秋斗さんの言葉も強ち嘘ではないのかもしれない。
できれば、キラキラとした日々に待っていてほしいと思う。けど、光あるところには影があるものだ。
それを痛いくらいに知っている私は、どうしても影の存在が気になってしまう。
「難しい顔してどうした?」
蒼兄に訊かれて、小さく口を開く。
「どうして光があるところには影もあるのかな」
「それはさ、影があったほうが光が映えるし、光があったほうが影が引き立つからじゃない?」
秋斗さんがサクリと答えてくれた。
「何を思ってそんなこと考えた?」
蒼兄に訊かれて、
「なんとなく、かな」
答えると、
「あまり難しいこと考えてると、また知恵熱出すぞ?」
それは嫌……。
眉間にしわが寄ったのか、蒼兄の指が眉間に伸びてくる。
「じゃ、僕はそろそろ帰るよ。翠葉ちゃん、コーヒーご馳走様でした」
「あ、いえ……」
見送りに行こうとしたら、
「翠葉はまだ髪も乾かしてないからダメ」
と、蒼兄に遮られた。
「そうだね。翠葉ちゃんが風邪をひくことは誰も望んでないよ」
ポン、と秋斗さんの手が頭に乗り、
「早く髪の毛を乾かして寝るように」
と、言われた。
リビングでふたりを見送り、私は自室でドライヤーをかけることにした。
温風を受けながら今日のことを思い出す。
今日は色んなことがあった。
どうも高校に入ってからというものの、非日常的なことが多い気がする。
そのうえ、とんでもなく人に恵まれていて少し怖い。
今日は色んなところで"仕事"という言葉を耳にし、様々な人の仕事ぶりを見ることができた。
私の写真――それは静さんと契約を交わしたときから"仕事"になっていたのだ。
しかし、まだそれを実感できずにいる。
それでも、私の気持ちは関係なく物事が動き出しているのを感じていた。
……私が自分の写真を"仕事"としてとらえることができる日はくるのだろうか。
髪を乾かし終わっても、お布団の中で延々と考えていた。でも、なんの答えも出ないうちに眠りに落ちていた。
私がシートベルトを外すと、秋斗さんも車のエンジンを切って車を降りる。
「蒼樹、悪い。ちょっとしたトラブルがあって翠葉ちゃんを巻き込むことになった」
「何を言って……」
「一族の厄介なお嬢さんに目をつけられた可能性がある。その件に関しては静さんが動いてくれるようだから厳戒態勢は二週間くらいなものなんだけど。一応、この家のセキュリティレベルを上げさせてほしい」
「かまいませんが……」
蒼兄が先に立ち、家の中へと入る。
蒼兄は三階の書庫から家の設計図関連のファイルを持ってきた。
私がお茶を出すと、
「もう遅いから、翠葉は先にお風呂に入っておいで」
「うん……。じゃぁ、そうするね」
自室に戻りお風呂の支度をする際、ベッド脇に置いてある時計を見ると十時前だった。
「半身浴はやめよう……」
お風呂から上がると、リビングの掛け時計は十時四十分を指していた。
リビングにふたりの姿はないものの、二階から声が聞こえてくるあたり、秋斗さんはまだいるのだろう。
コーヒー淹れて持っていこうかな……。
コーヒーメーカーをセットして一度自室に戻った。
明日の用意を済ませてからリビングに出てくると、コーヒーのいい香りがしていた。
キッチンでコーヒーをカップに注いでいると、二階からふたりが下りてきた。
「粗方終わったから、僕はこれで帰るね」
「あ、今コーヒーを淹れたので飲んでいきませんか?」
すでに手元のカップふたつには淹れたてのコーヒーが注がれている。
「じゃぁ、いただいてから帰ろうかな」
キッチンカウンターの向こうには微笑む秋斗さんがいた。
蒼兄がカウンターからソーサーごと受け取ってくれ、それを秋斗さんが受け取る。と、
「これも朗元の作品?」
言いながらカップをまじまじと見る。
それは緑と灰色が混ざったようなくすんだ色の焼き物。
手触りはザラザラとした質感なのだけど、手にほどよく馴染むカップ。
受け皿となるソーサーは丸ではなく四角。
そんなところもお洒落で好き。
「この人の作品は俺も好きなんです」
蒼兄も自分が持っているカップを見ながら目尻を下げた。
蒼兄が持っているのは紫色っぽい焼き物。
こちらは表面がつるりとしていて、ソーサーの形はほぼ円形。
どことなく歪んだような不器用な円が私のお気に入りだった。
「へぇ……じっくり見ると、意外と奥行き深いものなんだな」
秋斗さんは言いながらじっくりとカップを口へ運んだ。
飲み終わると、
「今度、仕事部屋のカップに加えようかな?」
思えば、あの部屋にある食器はどれをとっても白かった。
あれは秋斗さんの好みなのだろうか?
「秋斗さんは白い食器が好きなんですか?」
「そうだね。ボーンチャイナが好きかな。手触りもそうだけど、何よりも白い食器って一番料理が映える気がして」
「私もそう思います。だから、うちにある食器も基本的には白です」
秋斗さんは首を傾げた。
「それは意外。碧さんが選んだら白っていう色だけに留まらなさそうだけど?」
携帯の設定の件で一度顔を合わせただけだと思うのだけど、その割りにはお母さんのことをよくわかっている。
「秋斗さんの言うとおりです。一緒に買い物に行くと、たいてい意見が割れます」
私が答えると、
「母のセンスの良さは認めるけど、食器に関してはちょっと奇抜すぎて……。煮物とかが似合わない食器になっちゃうので、そこは断固反対してます。だから、うちの食器は基本翠葉が選んだものですよ」
蒼兄がため息をつくと秋斗さんと私が笑う。
気づけば三人とも笑っていた。
こういうのがいいな……。
肩に力が入ってなくて普通に笑えて、一緒にいる空間が心地いい。自分が素でいられる。
素の自分を受け入れてくれる人なら一緒にいたいと思える。
でも、それは"恋"なのかな……? 単なる"安心感"なのかな……。
"恋"はどこから始まるものなんだろう。始まるものなら、終わりも来るのだろうか……。
友達ですら失うのが怖いと思う。
同じくらい大切な人たちであっても、"好きな人"というのはもっと特別な気がして、それを失うときのことを考えると恐ろしくて仕方がない。
好きな人ができると、"明日"という未来が楽しみに思えるようになるのだろうか。それとも、その先にある恐怖に怯えることになるのだろうか。
今までは憧れしか抱かなかったけれど、「意外とドロドロした世界かもよ」と言った秋斗さんの言葉も強ち嘘ではないのかもしれない。
できれば、キラキラとした日々に待っていてほしいと思う。けど、光あるところには影があるものだ。
それを痛いくらいに知っている私は、どうしても影の存在が気になってしまう。
「難しい顔してどうした?」
蒼兄に訊かれて、小さく口を開く。
「どうして光があるところには影もあるのかな」
「それはさ、影があったほうが光が映えるし、光があったほうが影が引き立つからじゃない?」
秋斗さんがサクリと答えてくれた。
「何を思ってそんなこと考えた?」
蒼兄に訊かれて、
「なんとなく、かな」
答えると、
「あまり難しいこと考えてると、また知恵熱出すぞ?」
それは嫌……。
眉間にしわが寄ったのか、蒼兄の指が眉間に伸びてくる。
「じゃ、僕はそろそろ帰るよ。翠葉ちゃん、コーヒーご馳走様でした」
「あ、いえ……」
見送りに行こうとしたら、
「翠葉はまだ髪も乾かしてないからダメ」
と、蒼兄に遮られた。
「そうだね。翠葉ちゃんが風邪をひくことは誰も望んでないよ」
ポン、と秋斗さんの手が頭に乗り、
「早く髪の毛を乾かして寝るように」
と、言われた。
リビングでふたりを見送り、私は自室でドライヤーをかけることにした。
温風を受けながら今日のことを思い出す。
今日は色んなことがあった。
どうも高校に入ってからというものの、非日常的なことが多い気がする。
そのうえ、とんでもなく人に恵まれていて少し怖い。
今日は色んなところで"仕事"という言葉を耳にし、様々な人の仕事ぶりを見ることができた。
私の写真――それは静さんと契約を交わしたときから"仕事"になっていたのだ。
しかし、まだそれを実感できずにいる。
それでも、私の気持ちは関係なく物事が動き出しているのを感じていた。
……私が自分の写真を"仕事"としてとらえることができる日はくるのだろうか。
髪を乾かし終わっても、お布団の中で延々と考えていた。でも、なんの答えも出ないうちに眠りに落ちていた。