光のもとでⅠ
 私の食事代わりとなったアンダンテのタルトは半分食べたところでギブアップ。
 申し訳なく思いながらフォークを置く。
「何も食べないよりはいいわ」
 栞さんは笑ってくれるけど、そんな優しさがつらくなることもある。
 この人もダメ――。
 心の奥深くでコトリ、と音を立てて駒を動かす。
 出逢う人すべてをふるいにかけ選別するものの、ダメじゃない人はひとりもいない。
 どうして私の周りにいる人はみんな優しいのだろう……。
 栞さん、蒼兄、秋斗さん――とひとりずつに目を向ける。
 三人は美味しそうにすき焼きを食べていた。
 私はその匂いにすらあてられてしまいそうで、早々に自室へ下がらせてもらった。
 朝の薬が完全に切れ痛みが出始めていた。
 ピルケースから軽いほうの痛み止めを出して飲む。
 今度は効くだろう……。
 そう思いながら、部屋にある観葉植物の土の状態を確認し霧吹きでお水をあげ、葉っぱは丁寧に拭いてあげる。
 ほんの少し手を加えるだけで植物たちは元気になる。
 ローテーブルに置いてあったアイビーは水に浸かっている部分が腐ってきてしまったので、その少し上の部分で水切りをしてあげる。
 それらが終わるとベッドをフラットな状態に直して横になる。
 ベッドサイドにはマットよりも少し低めに設定した譜面台。
 そこに秋斗さんから借りているノートを載せて眺める。
「翠葉ちゃん、入ってもいい?」
 開いているドア口から秋斗さんに声をかけられた。
「どうぞ」
 秋斗さんはベッドサイドまで来ると、ベッドを背もたれにしてドアの方を向いて座った。
 秋斗さんは譜面台を覗き込み、「古典?」と訊く。
「はい」
「なんとかなりそう?」
「不思議なんですけど、このノートを覚えるのは全く苦じゃないんです。もう、半分くらいは覚えたと思いますよ」
「お役に立てたようで何より」
 ……こういうふうに普通に話せるのは好き。
「ね、訊いてもいい?」
「……何をですか? ……あ、あのっ、質問によりますっ。答えられるものは答えますけど、答えられないものに関しては黙秘権を行使してもいいですかっ?」
 さっきの今で何かを訊かれるなんて、想像するだけでも恐ろしい。
「チーズタルトの効果ってすごいね? 頭の回転、もとに戻っちゃったかな?」
 訊かれて少し不安になり、「蒼兄は……?」と訊くと、レポートを書きに二階へと上がったと教えてくれた。
「話、もとに戻すよ」
 前置きをされて、ゴクリ、と唾を飲み込む。
「そんなにかまえないで? ……あのさ、面倒なことや余計なことは一切考えずに、翠葉ちゃんが恋愛に求めるものを訊いてもいい?」
「……恋愛に、求めるのも……?」
「そう。たとえば、ドキドキワクワクジェットコースターみたいなものや駆け引き。色々とあると思うんだよね」
 面倒なことも余計なことも一切考えなくていいっていうのは、秋斗さんのことも何も考えずに……ということ?」
「ほら、カーペンターズの曲が好きって話したときみたいに、そんな感じで話してもらえたら嬉しいんだけど……」
 パレスに連れて行ってもらった日の会話を思い出しながら、
「……あの、笑わないで聞いてもらえますか?」
 秋斗さんをうかがい見ると、ベッドを背もたれにしていた秋斗さんがくるり、とこちらを向いてマットに顎を乗せた。
 私は体を起こし、背の部分に枕を挟む。
「あの……ドキドキするのは嫌じゃないんですけど、でもやっぱり困ってしまうので……。たとえば、一緒にいたいのにドキドキしすぎて一緒にいるのすらよくわからない状態になっちゃったり、お話して笑った顔を見たいだけなのに、それすらできなくなっちゃったり。そいうのは困るので――ただ、普通に一緒にいられるのが希望です」
 これ、答えになってるのかな?
「恋愛に求めるものは何?」という質問は、どうも漠然としていて答えるのが難しい。
 キラキラした毎日が待っていると思っていたかったし、明日が楽しみになるものだと思っていたかった。
 確かに世界は変わって見えた。
 秋斗さんがその場にいるだけで何もかもがキラキラと光って見えたし、特別なものに思えた。
 でも、自分が自分じゃないくらいにドキドキするのは――不安になって少し怖かった。
「翠葉ちゃんは安心感がほしいのかもね」
 安心感……。そうかもしれない。
「因みに僕は……。癒し、かなぁ……?」
「いや、し?」
「そう。すごい疲れてるおじさんみたいなこと言ってる気がするけど」
 秋斗さんは少し苦笑して、「また困らせちゃうかもしれないんだけど」と前置きをする。
 ほんの少し手に力を入れて身構える。と、
「そんなにかまえなくてもいいよ」
 と、言われた。
 いや、困らせるかもしれない、と言われて身構えない人はいないだろう。
「そんな緊張させるつもりはなかったんだけどな」
 言いながら、視線を逸らし私の手に視点を定める。
「俺は、翠葉ちゃんの笑顔が見たいんだよね。で、声が聞きたい。だから側にいてほしい。本当にそれだけなんだ。何も難しいことはなくて、いたってシンプル。ただ、ほかの男には近づいてほしくないから"付き合ってる"って関係を欲する。もし、翠葉ちゃんが俺を好きだと思ってくれるなら、付き合うとかそういうの抜きでもいい」
 そこまで言うと秋斗さんは顔を上げ、私の目を真正面から見つめてきた。
「だから、側にいてくれないかな」
 言われたことは理解できているつもり。
 でも、何をどう答えたらいいのかはわからない。
「翠葉ちゃん、今"恋愛"って言葉に振り回されてるでしょ?」
 それは"Yes"だ。
「だから、そんな難しい言葉は使わない。今までのことを一切忘れてくれてかまわない。今から俺が言う言葉だけを聞いて」
 秋斗さんは私の手を握り、
「翠葉ちゃん、ただ側にいてほしい」
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