光のもとでⅠ
第04章 Side Story
05 Side Minato 01
その日、仕事を終わらせ自宅に帰ってきた私は、学会の資料を見ながら今の仕事に転職して正解だったとひとり満足していた。
校医はいい。学校が終わって自分の仕事さえ終わらせればすぐに帰宅できるのだ。
今日も変わらずコーヒーを淹れ、学会の資料に目を通している。
病院は病院で遣り甲斐を感じなかったわけじゃない。ただ、読みたい資料に目を通す時間すら取れなくなる。
そんな日々が数年も続けば嫌気がさしてくるというもの。
どんなに稼いでもそれを使う時間がないのでは意味がない。
ふと、考えた。自分が働いているのはどうしてか、と――。
そう考えたとき、人の命よりも自分の人生と思った。
医者失格だと思った。だから、病院を辞めた。
そういう意味では弟たちのほうが医者に向いているのだろう。
今日はアメリカであった学会の資料が友人から届いている。
この手の情報はいち早く手に入れたい。
現地に知り合いがいる人間は、私のように学会に出た人間から情報を得ていることだろう。
そういう伝手がない人間は、後日発売される情報誌であったりネットに掲載されるのを待つこととなる。
それを考えれば、膨大なデータの受信に時間がかかることくらいはかわいく思えた。
一時間かかってようやくデータを落とし終わると、パソコンがフリーズした。
「データを落としてる途中じゃなくて良かった……」
とはいえ、そろそろメンテナンスに出したほうがいいだろうか?
メンテナンス先は秋斗のところ。
秋斗は機械仕掛けのものに関してはこと優秀と認めざるを得ない。
表に立っても十分にやっていける人間だが、気質としては根っからの技術屋なのだ。
今のところ、秋斗が藤宮警備の跡取りということにはなっているが、数年して海斗が入社した暁には弟にすべて丸投げするつもりだろう。
そして、自分は開発に全力を注ぐ。
そのために、今は外堀を埋めている最中といったところか……。
そういう部分ひとつ取ってみても、藤宮の人間は自己中心的だし自己愛が強いと思う。
テーブルに置いてある冷めかかったコーヒーに手を伸ばし、一口含んで落胆。
「美味しくないわ……」
冷めたコーヒーとアイスコーヒーがどう違うのかまでは知らない。とにかくまずかった。
再起動したパソコンでファイルを開こうとしたとき、ツールバーが奇妙な動きをしていた。
正確には、ツールバーに表示される数値が奇妙な動きをしていた。
翠葉の脈が上がったり下がったりを繰り返し、それと同様に普段では考えられない血圧の上昇が見られる。
「……容量の大きなものを落としただけでツールバーにまで影響が出るわけ?」
……いやいやいや、そんなことはないだろう。
そうは思うものの、確実な情報を手に入れたくてかばんからモバイルディスプレイを取り出す。
脈拍を音声に変えてみたものの、ツールバーに表示される数値と見事に連動していた。
何が起こっている……?
翠葉の携帯にかけるもつながらない。
流れてくるのは電源を落としていることを知らせるアナウンス。
「あのバカ……電源落としてるわね」
今日はホテルで静さんと打ち合わせだと聞いている。
ホテルまでは秋斗が送っていっているはずだ。
翠葉はモニタリングをしている人間に、自分が誰とどこに行くかのメールを必ず送ってくる。
気を利かせて、という意識はないらしい。
きっと、幼い頃からの習慣。
周りに極力心配をかけないために、と心がけてきたことが、バイタルチェックを開始した今でも続いている。
「とりあえず位置確認……」
GPSで位置を拾う。
間違いなく、翠葉は市街にあるウィステリアホテルにいるようだ。
そのとき、パソコンがメールを受信した。差出人は秋斗。
件名:数値が気になる
本文:さっきから数値が気になっているけど、
彼女がいるのは四十一階。
俺が単独で行ける場所じゃない。
それに現在会議中。
翠葉ちゃんは静さんと一緒にいるはずだから、
連絡が取れるようなら連絡を取ってみて。
四十一階、か――。
それはまた曰くありげなところに連れ込まれたものだ。
次の瞬間には家の固定電話と携帯が一斉に鳴りだした。
固定電話からは栞からの電話とわかるメロディが流れ、携帯のディスプレイには翠葉の母親の名前が表示された。
とりあえずは携帯だろう。
「はい、湊です」
『湊先生っ!? あの、翠葉は大丈夫なんでしょうかっ? 電話をかけてもつながらなくてっ』
「静さんと一緒にいるようなので、これから連絡を取ってみようと――」
『静っ!? 電話してみますっ』
言ってプツリ、と通話が切れた。
これは今私がかけたところで静さんにはつながらないだろう。ならば、未だ鳴り止まないもうひとつの電話をどうにかするべきだ。
固定電話に出ると、
『いるんだったらさっさと出なさいっ』
一言目に聞こえてきた栞の言葉がこれだ。
普段大声を出すようなことはない栞も、翠葉のこととなるとこうも豹変する。
「悪いわね。今、碧さんから連絡が入ってたのよ」
『碧さんたちも気が気じゃないんでしょう? 静兄様に連絡してもつながらないし……』
「え? 静さんと一緒にいるって秋斗から連絡入ったけど?」
『知らないわよっ。コール音は鳴るのに出ないんだからっ』
これは少々由々しき事体だ。
今頃、翠葉の母親も静さんに電話をしていることだろう。
すると、またメールの受信音が鳴った。
差出人はさっきと同様、秋斗だ。
内容的には、「まだ連絡取れてないの?」と状況確認を催促するものだった。
現在会議中と言っていたが、こんなメールを送ってくるあたり大した会議ではないのだろう。
「確認が取れ次第折り返すから」
栞に告げると静さんに電話をかけることにした。
が、携帯を何度鳴らそうが出ない。コール音は鳴るが、とにかく出ないのだ。
普段は全く害のない人間だが、翠葉が絡むと少々話は変わってくる。
「……我慢比べかしらね」
携帯をスピーカーの状態にして延々とコール音を鳴らし続けることにした。
その間、固定電話に蒼樹から連絡が入るは、静につながらないと碧さんから連絡が入るは、先ほどまでの静かなひと時が一気にコール音だらけになった。
そのうえ、翠葉の脈拍を知らせる音も速くなったり遅くなったりを繰り返している。
気になる不整脈が出ているわけではない。また、走った、というわけでもなさそうだ。
けれども、間違いなく翠葉の身に何かは起きているはずで――。
五分ほど鳴らし続けたコール音がようやく途絶え、静さんの声が聞こえてきた。
「さっきから翠葉のバイタルが色々とおかしいことになってるんだけど」
『湊、何を言っているんだ?』
落ち着いていて、どこか間の抜けた返事。
もしかしたら静さんはバイタルチェックのことは知らないのかもしれない。
少なくとも、私から話した記憶はない。
「だからっ――」
一瞬バイタルチェックの説明をしようかと思ったが、その前に翠葉の状態を確認すべきだ。
「翠葉。そこにいるんでしょ? 体調は大丈夫なのかって訊いてるのよっ」
『どうしてそれがわかるんだ?』
「あぁ、もういいから翠葉に換わって」
『もしもし、湊せんせ……?』
携帯から翠葉の小さくか細い声が聞こえてきた。
「あんたっ、何携帯の電源落としてるのよっ。携帯がつながらなくて蒼樹も栞もご両親も真っ青よっ?」
『すみません。打ち合わせのときに電話が鳴ったら失礼だと思って電源を落としていました』
なるほどね。確かに、仕事の打ち合わせ中に携帯が鳴ることほど失礼なものはない。
「……せめてサイレントモードにしなさい。で、体調は?」
『あ、大丈夫です……』
「何かあったんじゃないの?」
何もなければ数値がこんなに変動することはないだろう。
『あの、少し衝撃的な出来事がいくつかあって、もしかしたら脈が速くなったり血圧が上がったりしていたかもしれません』
内容こそ話さないものの、とりあえずは大丈夫ということらしい。
受け答えもしっかりしているし問題はない、か……。
「大丈夫なのね?」
『はい、大丈夫です』
「秋斗もそこには自分から行けないからってヤキモキしながら会議してるわよ? 秋斗からのメールがうるさいことうるさいこと……」
『すみません……』
これ以上何を言っても仕方がない。逆に、この子には逆効果だ。
気にするなと言っても必要以上に気にする。
こと、人に心配をかけることや迷惑をかけることに関しては……。
「無事ならいいわ。静さんに換わってくれる?」
数秒後には静さんの声が聞こえてきた。
『何からデータを受信している?』
「翠葉の左腕にバイタルチェック装置を付けさせた」
この人はどこまでを知っていて、どこからを知らないのだろうか。
まぁ、翠葉は藤宮の人間ではないのだから、そこまで詳しく状況を把握していなかったとしてもおかしくはない。
『なるほど。零樹から聞いてはいたが、厳戒態勢ってわけか』
「そんな言葉、翠葉の前で使わないで。見かけどおり繊細な子なのよ」
『珍しくも湊のお気に入りか?』
お気に入り、よりは目の離せない子って感じだけど……。
「ま、なんていうかかわいい子よ」
『それは十二分に理解しているつもりだ。携帯が鳴り止まなかったのは五人から連絡が入っていたからか……』
こんの男っ――。
「気づいてるんだったらさっさと出なさいっ」
思わず、ここ一番の怒声を発してしまう。
けれど、そんな怒声すらこの男にはきかないのだ。
『私にそんな口がきけるのは湊と零樹、碧くらいなものだな。悪いが、みんなに連絡を入れてほしい。このあと少し打ち合わせをしたらディナーをご馳走して家までしっかり送り届けると』
「了解……。あぁ、あまり無理して分量を食べさせないでよ?」
『心得ている。じゃぁ、頼んだ』
そう言うと、一方的に通話を切られた。
いつかこの男の足元を掬ってやりたいと思う。
あぁ……こんなことを思っているから藤宮のそこかしこから問題児呼ばわりされてしまうのだろうか。
別段、問題児でもかまわないけれど。
「面倒くさい……。メール、一斉送信でいいだろうか……」
各所のアドレスを拾って入力し、メールを作成する。
件名:無事確認
本文:静さんと一緒にいることを無事確認。
体調も問題なし。
これからディナーを食べて帰宅するとのこと。
帰りは静さんが送るそうです。
ここまでして、ようやく静かな時間が戻ってきた。
翠葉の脈拍音だけが室内に響く。
美味しくないことを知りつつ、また同じコーヒーに手を伸ばす。
カップを傾け、口に含む寸前で手を止めた。
「……飲んで文句を言うよりも、淹れなおすほうがいいわね」
モバイルディスプレイを持ってキッチンへ行き、サイフォンに新しい豆をセットする。
速くなったり遅くなったりを繰り返す翠葉の脈拍。しかし、夕方ほどひどくはない。
今頃、ホテルの美味しい料理に舌鼓を打っているのかもしれない。
このとき、私はまだ知らずにいた。
この日、翠葉が雅に目をつけられてしまったことを――。
校医はいい。学校が終わって自分の仕事さえ終わらせればすぐに帰宅できるのだ。
今日も変わらずコーヒーを淹れ、学会の資料に目を通している。
病院は病院で遣り甲斐を感じなかったわけじゃない。ただ、読みたい資料に目を通す時間すら取れなくなる。
そんな日々が数年も続けば嫌気がさしてくるというもの。
どんなに稼いでもそれを使う時間がないのでは意味がない。
ふと、考えた。自分が働いているのはどうしてか、と――。
そう考えたとき、人の命よりも自分の人生と思った。
医者失格だと思った。だから、病院を辞めた。
そういう意味では弟たちのほうが医者に向いているのだろう。
今日はアメリカであった学会の資料が友人から届いている。
この手の情報はいち早く手に入れたい。
現地に知り合いがいる人間は、私のように学会に出た人間から情報を得ていることだろう。
そういう伝手がない人間は、後日発売される情報誌であったりネットに掲載されるのを待つこととなる。
それを考えれば、膨大なデータの受信に時間がかかることくらいはかわいく思えた。
一時間かかってようやくデータを落とし終わると、パソコンがフリーズした。
「データを落としてる途中じゃなくて良かった……」
とはいえ、そろそろメンテナンスに出したほうがいいだろうか?
メンテナンス先は秋斗のところ。
秋斗は機械仕掛けのものに関してはこと優秀と認めざるを得ない。
表に立っても十分にやっていける人間だが、気質としては根っからの技術屋なのだ。
今のところ、秋斗が藤宮警備の跡取りということにはなっているが、数年して海斗が入社した暁には弟にすべて丸投げするつもりだろう。
そして、自分は開発に全力を注ぐ。
そのために、今は外堀を埋めている最中といったところか……。
そういう部分ひとつ取ってみても、藤宮の人間は自己中心的だし自己愛が強いと思う。
テーブルに置いてある冷めかかったコーヒーに手を伸ばし、一口含んで落胆。
「美味しくないわ……」
冷めたコーヒーとアイスコーヒーがどう違うのかまでは知らない。とにかくまずかった。
再起動したパソコンでファイルを開こうとしたとき、ツールバーが奇妙な動きをしていた。
正確には、ツールバーに表示される数値が奇妙な動きをしていた。
翠葉の脈が上がったり下がったりを繰り返し、それと同様に普段では考えられない血圧の上昇が見られる。
「……容量の大きなものを落としただけでツールバーにまで影響が出るわけ?」
……いやいやいや、そんなことはないだろう。
そうは思うものの、確実な情報を手に入れたくてかばんからモバイルディスプレイを取り出す。
脈拍を音声に変えてみたものの、ツールバーに表示される数値と見事に連動していた。
何が起こっている……?
翠葉の携帯にかけるもつながらない。
流れてくるのは電源を落としていることを知らせるアナウンス。
「あのバカ……電源落としてるわね」
今日はホテルで静さんと打ち合わせだと聞いている。
ホテルまでは秋斗が送っていっているはずだ。
翠葉はモニタリングをしている人間に、自分が誰とどこに行くかのメールを必ず送ってくる。
気を利かせて、という意識はないらしい。
きっと、幼い頃からの習慣。
周りに極力心配をかけないために、と心がけてきたことが、バイタルチェックを開始した今でも続いている。
「とりあえず位置確認……」
GPSで位置を拾う。
間違いなく、翠葉は市街にあるウィステリアホテルにいるようだ。
そのとき、パソコンがメールを受信した。差出人は秋斗。
件名:数値が気になる
本文:さっきから数値が気になっているけど、
彼女がいるのは四十一階。
俺が単独で行ける場所じゃない。
それに現在会議中。
翠葉ちゃんは静さんと一緒にいるはずだから、
連絡が取れるようなら連絡を取ってみて。
四十一階、か――。
それはまた曰くありげなところに連れ込まれたものだ。
次の瞬間には家の固定電話と携帯が一斉に鳴りだした。
固定電話からは栞からの電話とわかるメロディが流れ、携帯のディスプレイには翠葉の母親の名前が表示された。
とりあえずは携帯だろう。
「はい、湊です」
『湊先生っ!? あの、翠葉は大丈夫なんでしょうかっ? 電話をかけてもつながらなくてっ』
「静さんと一緒にいるようなので、これから連絡を取ってみようと――」
『静っ!? 電話してみますっ』
言ってプツリ、と通話が切れた。
これは今私がかけたところで静さんにはつながらないだろう。ならば、未だ鳴り止まないもうひとつの電話をどうにかするべきだ。
固定電話に出ると、
『いるんだったらさっさと出なさいっ』
一言目に聞こえてきた栞の言葉がこれだ。
普段大声を出すようなことはない栞も、翠葉のこととなるとこうも豹変する。
「悪いわね。今、碧さんから連絡が入ってたのよ」
『碧さんたちも気が気じゃないんでしょう? 静兄様に連絡してもつながらないし……』
「え? 静さんと一緒にいるって秋斗から連絡入ったけど?」
『知らないわよっ。コール音は鳴るのに出ないんだからっ』
これは少々由々しき事体だ。
今頃、翠葉の母親も静さんに電話をしていることだろう。
すると、またメールの受信音が鳴った。
差出人はさっきと同様、秋斗だ。
内容的には、「まだ連絡取れてないの?」と状況確認を催促するものだった。
現在会議中と言っていたが、こんなメールを送ってくるあたり大した会議ではないのだろう。
「確認が取れ次第折り返すから」
栞に告げると静さんに電話をかけることにした。
が、携帯を何度鳴らそうが出ない。コール音は鳴るが、とにかく出ないのだ。
普段は全く害のない人間だが、翠葉が絡むと少々話は変わってくる。
「……我慢比べかしらね」
携帯をスピーカーの状態にして延々とコール音を鳴らし続けることにした。
その間、固定電話に蒼樹から連絡が入るは、静につながらないと碧さんから連絡が入るは、先ほどまでの静かなひと時が一気にコール音だらけになった。
そのうえ、翠葉の脈拍を知らせる音も速くなったり遅くなったりを繰り返している。
気になる不整脈が出ているわけではない。また、走った、というわけでもなさそうだ。
けれども、間違いなく翠葉の身に何かは起きているはずで――。
五分ほど鳴らし続けたコール音がようやく途絶え、静さんの声が聞こえてきた。
「さっきから翠葉のバイタルが色々とおかしいことになってるんだけど」
『湊、何を言っているんだ?』
落ち着いていて、どこか間の抜けた返事。
もしかしたら静さんはバイタルチェックのことは知らないのかもしれない。
少なくとも、私から話した記憶はない。
「だからっ――」
一瞬バイタルチェックの説明をしようかと思ったが、その前に翠葉の状態を確認すべきだ。
「翠葉。そこにいるんでしょ? 体調は大丈夫なのかって訊いてるのよっ」
『どうしてそれがわかるんだ?』
「あぁ、もういいから翠葉に換わって」
『もしもし、湊せんせ……?』
携帯から翠葉の小さくか細い声が聞こえてきた。
「あんたっ、何携帯の電源落としてるのよっ。携帯がつながらなくて蒼樹も栞もご両親も真っ青よっ?」
『すみません。打ち合わせのときに電話が鳴ったら失礼だと思って電源を落としていました』
なるほどね。確かに、仕事の打ち合わせ中に携帯が鳴ることほど失礼なものはない。
「……せめてサイレントモードにしなさい。で、体調は?」
『あ、大丈夫です……』
「何かあったんじゃないの?」
何もなければ数値がこんなに変動することはないだろう。
『あの、少し衝撃的な出来事がいくつかあって、もしかしたら脈が速くなったり血圧が上がったりしていたかもしれません』
内容こそ話さないものの、とりあえずは大丈夫ということらしい。
受け答えもしっかりしているし問題はない、か……。
「大丈夫なのね?」
『はい、大丈夫です』
「秋斗もそこには自分から行けないからってヤキモキしながら会議してるわよ? 秋斗からのメールがうるさいことうるさいこと……」
『すみません……』
これ以上何を言っても仕方がない。逆に、この子には逆効果だ。
気にするなと言っても必要以上に気にする。
こと、人に心配をかけることや迷惑をかけることに関しては……。
「無事ならいいわ。静さんに換わってくれる?」
数秒後には静さんの声が聞こえてきた。
『何からデータを受信している?』
「翠葉の左腕にバイタルチェック装置を付けさせた」
この人はどこまでを知っていて、どこからを知らないのだろうか。
まぁ、翠葉は藤宮の人間ではないのだから、そこまで詳しく状況を把握していなかったとしてもおかしくはない。
『なるほど。零樹から聞いてはいたが、厳戒態勢ってわけか』
「そんな言葉、翠葉の前で使わないで。見かけどおり繊細な子なのよ」
『珍しくも湊のお気に入りか?』
お気に入り、よりは目の離せない子って感じだけど……。
「ま、なんていうかかわいい子よ」
『それは十二分に理解しているつもりだ。携帯が鳴り止まなかったのは五人から連絡が入っていたからか……』
こんの男っ――。
「気づいてるんだったらさっさと出なさいっ」
思わず、ここ一番の怒声を発してしまう。
けれど、そんな怒声すらこの男にはきかないのだ。
『私にそんな口がきけるのは湊と零樹、碧くらいなものだな。悪いが、みんなに連絡を入れてほしい。このあと少し打ち合わせをしたらディナーをご馳走して家までしっかり送り届けると』
「了解……。あぁ、あまり無理して分量を食べさせないでよ?」
『心得ている。じゃぁ、頼んだ』
そう言うと、一方的に通話を切られた。
いつかこの男の足元を掬ってやりたいと思う。
あぁ……こんなことを思っているから藤宮のそこかしこから問題児呼ばわりされてしまうのだろうか。
別段、問題児でもかまわないけれど。
「面倒くさい……。メール、一斉送信でいいだろうか……」
各所のアドレスを拾って入力し、メールを作成する。
件名:無事確認
本文:静さんと一緒にいることを無事確認。
体調も問題なし。
これからディナーを食べて帰宅するとのこと。
帰りは静さんが送るそうです。
ここまでして、ようやく静かな時間が戻ってきた。
翠葉の脈拍音だけが室内に響く。
美味しくないことを知りつつ、また同じコーヒーに手を伸ばす。
カップを傾け、口に含む寸前で手を止めた。
「……飲んで文句を言うよりも、淹れなおすほうがいいわね」
モバイルディスプレイを持ってキッチンへ行き、サイフォンに新しい豆をセットする。
速くなったり遅くなったりを繰り返す翠葉の脈拍。しかし、夕方ほどひどくはない。
今頃、ホテルの美味しい料理に舌鼓を打っているのかもしれない。
このとき、私はまだ知らずにいた。
この日、翠葉が雅に目をつけられてしまったことを――。