光のもとでⅠ
14~17 Side Akito 02
六時半を回ると湊ちゃんが戻ってきた。
「様子はどう?」
「とくに何もなく寝てるよ」
「そう」
湊ちゃんが仮眠室をノックすると、「はい」と割とはっきりした声が返ってきた。
もしかしたら起きていたのかもしれない。
湊ちゃんはドアを開けると、俺がそうしていたように、少しだけ開けた状態なでドアを閉めた。
俺は中の様子が気になり、仮眠室のドア脇の壁にもたれかかる。
仮眠室のドアは内開きのため、俺がここに立っていることは彼女からは見えない。
つまり、立派な立ち聞きだ。
「どう?」
「だいぶ、楽になりました。……でも、体を起こしているのはかなりきついです」
「そりゃそうでしょう? 数値自体がすごく低いもの。こんな数値で普通に過ごされたら医者なんていらないわよ」
携帯のディスプレイを見て血圧を確認する。
七十八の四十八――さっきよりはいいけど、それでも低い……。
「先生、私……あと二ヶ月、どうやったら学校に通い続けられるだろう……」
きっと、ものすごく不安なのだろう。今、思案顔なのが予想できる。
「少し進歩したじゃない」
「進歩、ですか?」
「少し前なら、すぐに辞めることを考えたんじゃない?」
あぁ、それは確かに……。
少しは前向きに考えられるようになったのだろうか。
「……同じことです。これからの二ヶ月、学校に通えなければ出欠日数や単位もろもろを落として進級できなくなりますから……」
「……学校に登校さえしていればなんとかならないこともない。保健室で授業を受けるシステムも整っているのよ」
「……そうなんですか?」
「嘘なんてつかないわ。学校案内のパンフレットや公にされる資料には載ってないけどあるのよ。もちろん、授業を出席扱いにするわけだから、課題もクリアしないといけないけど……。うちの学校、学力のある生徒には慈悲深いの。蒼樹はそれも知っていて翠葉にこの学校を勧めたはずだけど? まさか聞いてないの?」
確か、そんなことを俺にも聞いてきた。
俺はもともと職員じゃないし詳しくはないから、と湊ちゃんに訊くことを勧めたんだ。
「去年の秋頃だったかしら? 私のところへ訊きに来たのよ」
そういえば、あの頃だったな。
蒼樹をうちの警備に就職しないかと誘って断られたのは。
ふと懐かしいことを思い出す。
あの頃の蒼樹は翠葉ちゃんのことで頭がいっぱいでそれどころじゃなかった。
高校の資料を片っ端から集め、この学校に来ることで彼女が得られるメリットのありとあらゆるものを探していた。
そして、数日後には就職はせず、もう一年院に残ると言いにきた。
翠葉ちゃんがうちの藤宮に入学することを見越して。
「けど、学校に通えていればって話だから、あんたは学校までがんばって来なくちゃいけないけど」
正直、今の状態ではそれも難しい気もする。
「先生……」
少し震える彼女の声。
けれど、芯はぶれていない。そう感じた。
「何?」
「薬の分量を増やすの、全国模試のあとじゃだめですか?」
何をっ……!? 薬を飲まなければ昨日のような痛みが襲ってくるんだろうっ!?
「全国模試って、来月の頭よね?」
「はい。六月の二日です」
あと一週間……。
「ちょうど入梅が予想されている頃か……」
「この状態じゃ勉強できそうにないんです。でも、勉強しなくちゃ危ない科目がいくつかあって……」
理解できない……。この状態でどうしてそこまでテストを気にする?
「薬の投与が遅れる分、痛みが出てくる可能性も高くなるわよ?」
「鎮痛剤で抑えます」
「鎮痛剤の副作用で血圧や体温が下がるのもわかってるわよね?」
湊ちゃん、まさか許すつもりじゃないよなっ?
「ここで耐えておかないと、今後の高校生活に響くと思うんです。全国模試を落とすことはできない。でも、模試のあとなら一週間続けて休んだとしても期末考査まではまだ時間があります。七月頭までになら体調を立て直せるかもしれません」
意図はわからなくはないが、そんなに順調にいくものなのか?
「……なるほどね。二ヶ月間、どっちにしろつらい思いをするならどこにウェイトを置くか――そういうことね?」
どこに重きを置くか……?
彼女のこれからの二ヶ月とは予想を絶するほどつらいものなのだろう。
それは、こんな選択をしなくてはいけないくらいには、ということだ。
「そういうことなら考えなくもない。薬を増やすのは一週間後の開始で、痛み止めは――三段階に増やそう。三段階というよりは一段階で飲める薬を二種類に増やすわ。ひとつは胃の負担になりにくい軽めの薬。もうひとつは今飲んでいるもの。それで胃への負担が少しでも軽くなるといいけど……」
湊ちゃんが許可するなら少しは猶予があるのかとも思ったたけど、きっとそういうわけじゃないんだろうな。
「……翠葉、そういうことは口にしなさい。いくら主治医とはいえ、翠葉の体が手に取るようにわかるわけじゃない。思うことがあれば口にすればいい。そしたら一緒に考える」
あぁ、彼女は今の考えを言うのにかなり勇気がいったのだろう……。
「医者的見地からすれば家で休ませたいというのが本音だし、薬も飲ませておきたい。けど、それで翠葉の人生に歪みが生じるなら考えなくちゃいけない。一度リタイヤしちゃうと社会復帰が難しい――それは現場で働いたことがある医者なら誰もが知ってる。だから、自分がどうしたいのかは口にしていい」
「……はい」
社会復帰、ね。
高校生にそれを言わなくちゃいけないってどんなに辛辣な世界かな。
俺には少しも想像ができないけれど、彼女はすでに一度その思いを味わっている。
「薬は秋斗に渡しておく。もう少し寝てなさい。秋斗もまだ仕事が残ってるみたいだし。秋斗が迎えに来るまで寝てるのね。無理に体を起こしてる必要もないわ。寝てたらきっと運んでくれるでしょう?」
体を起こしていたのかっ!?
すぐにさっきの真っ青な顔が思い出される。
すると、小さな声で「それは恥ずかしいです」という言葉が聞こえてきた。
「いいじゃない、眠れる森の乙女みたいで」
湊ちゃんは笑いながら出てきた。
今度は隙間なくしっかりとドアを閉める。
表情から笑みを消すと窓際まで移動し、窓を背に仮眠室のドアを見つめながらひとつため息をついた。
「……思ってたよりもあの子しっかりしてるわ」
「……薬、遅らせて大丈夫なの?」
「んなわけないじゃない。医者から言わせたら、自分から具合悪くなりに行くようなものよ? それでも、あの子の優先順位は学校に通うことが一番なのよ。それをクリアするためならこういう手段も考えてくる。……あれほど痛みに怯えてるというのにね。こっちがやるせなくなるわ……」
こんな湊ちゃんの表情はめったに見れるものじゃない。
すごく悔しそうな、どうにかしてあげたいのにそれができない――医者なのにできない、って叫んでいる気がする。
現に白い手の指先がうっ血すほどに力をこめていた。
「痛みが出ると血圧が急に上昇して脈拍も上がるの。これから一週間、少し気をつけてモニタリングしてあげて」
「……了解」
「点滴も抜いたから、あとは秋斗に任せる。今、あの子に雅なんて接触させたら私が許さないわよ?」
そう鋭い視線を投げられる。
「体調をコントロールすることでいっぱいいっぱいなの。そのうえ、変な悩みまで抱えさせないでちょうだい。いいわね?」
「わかってる」
「様子はどう?」
「とくに何もなく寝てるよ」
「そう」
湊ちゃんが仮眠室をノックすると、「はい」と割とはっきりした声が返ってきた。
もしかしたら起きていたのかもしれない。
湊ちゃんはドアを開けると、俺がそうしていたように、少しだけ開けた状態なでドアを閉めた。
俺は中の様子が気になり、仮眠室のドア脇の壁にもたれかかる。
仮眠室のドアは内開きのため、俺がここに立っていることは彼女からは見えない。
つまり、立派な立ち聞きだ。
「どう?」
「だいぶ、楽になりました。……でも、体を起こしているのはかなりきついです」
「そりゃそうでしょう? 数値自体がすごく低いもの。こんな数値で普通に過ごされたら医者なんていらないわよ」
携帯のディスプレイを見て血圧を確認する。
七十八の四十八――さっきよりはいいけど、それでも低い……。
「先生、私……あと二ヶ月、どうやったら学校に通い続けられるだろう……」
きっと、ものすごく不安なのだろう。今、思案顔なのが予想できる。
「少し進歩したじゃない」
「進歩、ですか?」
「少し前なら、すぐに辞めることを考えたんじゃない?」
あぁ、それは確かに……。
少しは前向きに考えられるようになったのだろうか。
「……同じことです。これからの二ヶ月、学校に通えなければ出欠日数や単位もろもろを落として進級できなくなりますから……」
「……学校に登校さえしていればなんとかならないこともない。保健室で授業を受けるシステムも整っているのよ」
「……そうなんですか?」
「嘘なんてつかないわ。学校案内のパンフレットや公にされる資料には載ってないけどあるのよ。もちろん、授業を出席扱いにするわけだから、課題もクリアしないといけないけど……。うちの学校、学力のある生徒には慈悲深いの。蒼樹はそれも知っていて翠葉にこの学校を勧めたはずだけど? まさか聞いてないの?」
確か、そんなことを俺にも聞いてきた。
俺はもともと職員じゃないし詳しくはないから、と湊ちゃんに訊くことを勧めたんだ。
「去年の秋頃だったかしら? 私のところへ訊きに来たのよ」
そういえば、あの頃だったな。
蒼樹をうちの警備に就職しないかと誘って断られたのは。
ふと懐かしいことを思い出す。
あの頃の蒼樹は翠葉ちゃんのことで頭がいっぱいでそれどころじゃなかった。
高校の資料を片っ端から集め、この学校に来ることで彼女が得られるメリットのありとあらゆるものを探していた。
そして、数日後には就職はせず、もう一年院に残ると言いにきた。
翠葉ちゃんがうちの藤宮に入学することを見越して。
「けど、学校に通えていればって話だから、あんたは学校までがんばって来なくちゃいけないけど」
正直、今の状態ではそれも難しい気もする。
「先生……」
少し震える彼女の声。
けれど、芯はぶれていない。そう感じた。
「何?」
「薬の分量を増やすの、全国模試のあとじゃだめですか?」
何をっ……!? 薬を飲まなければ昨日のような痛みが襲ってくるんだろうっ!?
「全国模試って、来月の頭よね?」
「はい。六月の二日です」
あと一週間……。
「ちょうど入梅が予想されている頃か……」
「この状態じゃ勉強できそうにないんです。でも、勉強しなくちゃ危ない科目がいくつかあって……」
理解できない……。この状態でどうしてそこまでテストを気にする?
「薬の投与が遅れる分、痛みが出てくる可能性も高くなるわよ?」
「鎮痛剤で抑えます」
「鎮痛剤の副作用で血圧や体温が下がるのもわかってるわよね?」
湊ちゃん、まさか許すつもりじゃないよなっ?
「ここで耐えておかないと、今後の高校生活に響くと思うんです。全国模試を落とすことはできない。でも、模試のあとなら一週間続けて休んだとしても期末考査まではまだ時間があります。七月頭までになら体調を立て直せるかもしれません」
意図はわからなくはないが、そんなに順調にいくものなのか?
「……なるほどね。二ヶ月間、どっちにしろつらい思いをするならどこにウェイトを置くか――そういうことね?」
どこに重きを置くか……?
彼女のこれからの二ヶ月とは予想を絶するほどつらいものなのだろう。
それは、こんな選択をしなくてはいけないくらいには、ということだ。
「そういうことなら考えなくもない。薬を増やすのは一週間後の開始で、痛み止めは――三段階に増やそう。三段階というよりは一段階で飲める薬を二種類に増やすわ。ひとつは胃の負担になりにくい軽めの薬。もうひとつは今飲んでいるもの。それで胃への負担が少しでも軽くなるといいけど……」
湊ちゃんが許可するなら少しは猶予があるのかとも思ったたけど、きっとそういうわけじゃないんだろうな。
「……翠葉、そういうことは口にしなさい。いくら主治医とはいえ、翠葉の体が手に取るようにわかるわけじゃない。思うことがあれば口にすればいい。そしたら一緒に考える」
あぁ、彼女は今の考えを言うのにかなり勇気がいったのだろう……。
「医者的見地からすれば家で休ませたいというのが本音だし、薬も飲ませておきたい。けど、それで翠葉の人生に歪みが生じるなら考えなくちゃいけない。一度リタイヤしちゃうと社会復帰が難しい――それは現場で働いたことがある医者なら誰もが知ってる。だから、自分がどうしたいのかは口にしていい」
「……はい」
社会復帰、ね。
高校生にそれを言わなくちゃいけないってどんなに辛辣な世界かな。
俺には少しも想像ができないけれど、彼女はすでに一度その思いを味わっている。
「薬は秋斗に渡しておく。もう少し寝てなさい。秋斗もまだ仕事が残ってるみたいだし。秋斗が迎えに来るまで寝てるのね。無理に体を起こしてる必要もないわ。寝てたらきっと運んでくれるでしょう?」
体を起こしていたのかっ!?
すぐにさっきの真っ青な顔が思い出される。
すると、小さな声で「それは恥ずかしいです」という言葉が聞こえてきた。
「いいじゃない、眠れる森の乙女みたいで」
湊ちゃんは笑いながら出てきた。
今度は隙間なくしっかりとドアを閉める。
表情から笑みを消すと窓際まで移動し、窓を背に仮眠室のドアを見つめながらひとつため息をついた。
「……思ってたよりもあの子しっかりしてるわ」
「……薬、遅らせて大丈夫なの?」
「んなわけないじゃない。医者から言わせたら、自分から具合悪くなりに行くようなものよ? それでも、あの子の優先順位は学校に通うことが一番なのよ。それをクリアするためならこういう手段も考えてくる。……あれほど痛みに怯えてるというのにね。こっちがやるせなくなるわ……」
こんな湊ちゃんの表情はめったに見れるものじゃない。
すごく悔しそうな、どうにかしてあげたいのにそれができない――医者なのにできない、って叫んでいる気がする。
現に白い手の指先がうっ血すほどに力をこめていた。
「痛みが出ると血圧が急に上昇して脈拍も上がるの。これから一週間、少し気をつけてモニタリングしてあげて」
「……了解」
「点滴も抜いたから、あとは秋斗に任せる。今、あの子に雅なんて接触させたら私が許さないわよ?」
そう鋭い視線を投げられる。
「体調をコントロールすることでいっぱいいっぱいなの。そのうえ、変な悩みまで抱えさせないでちょうだい。いいわね?」
「わかってる」