光のもとでⅠ
ひとつ仕事を片付けてから彼女を起こしに仮眠室に入った。
「翠葉ちゃん、帰れる?」
「はい。今、何時でしょう?」
「七時過ぎかな」
体を起こすのに手を貸す。
背中に手を添えると、骨の感触が手に伝う。
ここ数日でかなり痩せたんじゃ……。
もともと細い子ではあるけれど、ここまでではなかった気がする。
上体を起こすと、彼女は右手で額を押さえた。
この程度でも眩暈が起こるものなのか……?
すでに想像の範疇を超えていた。
少しすると体の向きを変え、ベッドから足を下ろす。すると、決意したように立ち上がった。
途端に腕にかかる体重が増えた。
これだけゆっくり時間をかけてもダメなときはダメなんだな……。
わずかに彼女の肩が震えている気がした。
彼女は自分の足元に視線を落としたままだ。
きっと、こういうときに思うのだろう。自分が情けない、と……。
いてもたってもいられずその細い体を胸に抱き寄せた。
「ゆっくりでいい……。ゆっくりいこう」
彼女は胸元でコクリと頷いた。
情けなくなんかないよ……。
だって、君はこんなにも自分の体と闘っているのだから。そんなふうに思う必要はない。
君は人の体温で安心できると言ったよね? それならいつだって俺の体温を分けてあげるよ。
だから、すべてをひとりで抱えないでほしい。
少しして、「落ち着いた?」と訊けば、小さな頭がゆっくりと上を向き、わずかに笑みを浮かべて「大丈夫です」と答えた。
つらいって泣いてくれていいのに……。いっそ、そのほうが思い切り抱きしめてあげられるのに……。
――蒼樹にだってしないことを俺にしてくれるわけがない。
そうは思うものの、やはりやるせない。
こんな状態でどうしてそんなふうに笑えるんだ……。
「じゃ、行こうか」
「はい」
彼女の右側を支えながらゆっくり歩いて図書棟を出た。
図書棟を出る際には生徒会メンバーから声をかけられたが、彼女に言葉を返すほどの余裕がないと察すると、誰もが口を閉ざし彼女のことを見守るに留めた。
テラスへ出て階段を目にすると、彼女の目は不安そうに揺れた。
それでも歩みを止めようとはせず、手すりに手を伸ばす。
本当は抱き上げて運んでしまいたい。
何よりも安全だし手っ取り早い。
それをしないのは、彼女が自分で歩こうとしているから。そして、先ほどの"社会復帰"という言葉が頭をよぎったからだ。
それに、部活が終わる時間ということもあり、生徒があちらこちらにいる。
それを気にしているのか、先ほどから早く下りようと歩みを速めたがる。そのたびに、俺は彼女の手を握る左手に力をこめて制した。。
人目は気になるかもしれない。でも、焦って転ばれるよりはいい。
駐車場に着き助手席に座らせると、すぐにシートを倒した。
きっと俺がしなければ、この子は我慢してつらい体勢で座っているのだろうと思ったから。
「この時間は少し混むかもしれないから寝てて?」
言うと、彼女は素直にコクリと頷いた。
運転席に乗り込みエンジンをかけると、カーステから聞こえてきたのはカーペンターズの「Close to you」だった。
ここのところ、この曲しか聴いていない。
隣に横になる彼女の頬が少し緩むのを見て、音楽の偉大さを知った。
少し遠回りにはなるけれど、アンダンテに寄ってケーキを買っていこう。
苺タルトなら少しは食べてくれるかもしれない。
とにかく、なんでもいいか少しでも口にしてほしい……。
店の前にある駐車場に車を停め彼女を見る。
ずっと起きていたのか、ここはどこだろう? と不思議そうに窓の外に視線を向けていた。
しかし、彼女の体勢から見えるものは空くらいなものだろう。
「ちょっと待っててね」
車を降り店内に入ると、残り少ないケーキがいくつか。
苺タルトが残っていて良かった……。
いくつか適当にオーダーして車に戻る。
ケーキボックスを置くため後部座席のドアを開くと、ちょうど横になった彼女の視線の先に置くことになった。
「アンダンテの、前……?」
「そう」
目がまぁるく開いてとてもかわいい。
こういう表情が本当にかわいくて、ついこちらの表情も緩む。
運転席に戻り、
「ご飯が食べれなくても苺タルトならがんばれるんでしょ?」
少し意地悪な笑みを添えると、思い切り顔を背けられた。
そこまでの意地悪をしたつもりはない。
「……どうかした?」
「いえ――どうも、しないです」
そう言う割にはこちらを見てくれる気配はない。
エンジンをかけつつも、彼女から視線を剥がせない。
ふいに胸を押さえる仕草を目にして、
「翠葉ちゃん、痛みが出てたりする?」
「違っ――痛みとか、そういうのじゃなくて……あの、大丈夫です」
この子の大丈夫は信じていいのかがわからない。
せめてこっちを向いてくれたなら表情を読み取ることができるのに。
顔を見せないのは隠せる自信がないからか……?
「……薬は早めに飲んだほうがいいんじゃない?」
自販機ならそこにある。視線を移せばミネラルウォーターが目に入った。
すると、少し体の向きを変えた彼女が、
「本当に違うので……大丈夫です」
と、なんとも言えない表情で口にした。
彼女の家まではあと十五分かからないくらいだろう。
ならばこのまま出るか……。
途中にコンビニもいくつかあるから、水はどこでも調達できる。
そこまで考えてから車を出した。
「翠葉ちゃん、帰れる?」
「はい。今、何時でしょう?」
「七時過ぎかな」
体を起こすのに手を貸す。
背中に手を添えると、骨の感触が手に伝う。
ここ数日でかなり痩せたんじゃ……。
もともと細い子ではあるけれど、ここまでではなかった気がする。
上体を起こすと、彼女は右手で額を押さえた。
この程度でも眩暈が起こるものなのか……?
すでに想像の範疇を超えていた。
少しすると体の向きを変え、ベッドから足を下ろす。すると、決意したように立ち上がった。
途端に腕にかかる体重が増えた。
これだけゆっくり時間をかけてもダメなときはダメなんだな……。
わずかに彼女の肩が震えている気がした。
彼女は自分の足元に視線を落としたままだ。
きっと、こういうときに思うのだろう。自分が情けない、と……。
いてもたってもいられずその細い体を胸に抱き寄せた。
「ゆっくりでいい……。ゆっくりいこう」
彼女は胸元でコクリと頷いた。
情けなくなんかないよ……。
だって、君はこんなにも自分の体と闘っているのだから。そんなふうに思う必要はない。
君は人の体温で安心できると言ったよね? それならいつだって俺の体温を分けてあげるよ。
だから、すべてをひとりで抱えないでほしい。
少しして、「落ち着いた?」と訊けば、小さな頭がゆっくりと上を向き、わずかに笑みを浮かべて「大丈夫です」と答えた。
つらいって泣いてくれていいのに……。いっそ、そのほうが思い切り抱きしめてあげられるのに……。
――蒼樹にだってしないことを俺にしてくれるわけがない。
そうは思うものの、やはりやるせない。
こんな状態でどうしてそんなふうに笑えるんだ……。
「じゃ、行こうか」
「はい」
彼女の右側を支えながらゆっくり歩いて図書棟を出た。
図書棟を出る際には生徒会メンバーから声をかけられたが、彼女に言葉を返すほどの余裕がないと察すると、誰もが口を閉ざし彼女のことを見守るに留めた。
テラスへ出て階段を目にすると、彼女の目は不安そうに揺れた。
それでも歩みを止めようとはせず、手すりに手を伸ばす。
本当は抱き上げて運んでしまいたい。
何よりも安全だし手っ取り早い。
それをしないのは、彼女が自分で歩こうとしているから。そして、先ほどの"社会復帰"という言葉が頭をよぎったからだ。
それに、部活が終わる時間ということもあり、生徒があちらこちらにいる。
それを気にしているのか、先ほどから早く下りようと歩みを速めたがる。そのたびに、俺は彼女の手を握る左手に力をこめて制した。。
人目は気になるかもしれない。でも、焦って転ばれるよりはいい。
駐車場に着き助手席に座らせると、すぐにシートを倒した。
きっと俺がしなければ、この子は我慢してつらい体勢で座っているのだろうと思ったから。
「この時間は少し混むかもしれないから寝てて?」
言うと、彼女は素直にコクリと頷いた。
運転席に乗り込みエンジンをかけると、カーステから聞こえてきたのはカーペンターズの「Close to you」だった。
ここのところ、この曲しか聴いていない。
隣に横になる彼女の頬が少し緩むのを見て、音楽の偉大さを知った。
少し遠回りにはなるけれど、アンダンテに寄ってケーキを買っていこう。
苺タルトなら少しは食べてくれるかもしれない。
とにかく、なんでもいいか少しでも口にしてほしい……。
店の前にある駐車場に車を停め彼女を見る。
ずっと起きていたのか、ここはどこだろう? と不思議そうに窓の外に視線を向けていた。
しかし、彼女の体勢から見えるものは空くらいなものだろう。
「ちょっと待っててね」
車を降り店内に入ると、残り少ないケーキがいくつか。
苺タルトが残っていて良かった……。
いくつか適当にオーダーして車に戻る。
ケーキボックスを置くため後部座席のドアを開くと、ちょうど横になった彼女の視線の先に置くことになった。
「アンダンテの、前……?」
「そう」
目がまぁるく開いてとてもかわいい。
こういう表情が本当にかわいくて、ついこちらの表情も緩む。
運転席に戻り、
「ご飯が食べれなくても苺タルトならがんばれるんでしょ?」
少し意地悪な笑みを添えると、思い切り顔を背けられた。
そこまでの意地悪をしたつもりはない。
「……どうかした?」
「いえ――どうも、しないです」
そう言う割にはこちらを見てくれる気配はない。
エンジンをかけつつも、彼女から視線を剥がせない。
ふいに胸を押さえる仕草を目にして、
「翠葉ちゃん、痛みが出てたりする?」
「違っ――痛みとか、そういうのじゃなくて……あの、大丈夫です」
この子の大丈夫は信じていいのかがわからない。
せめてこっちを向いてくれたなら表情を読み取ることができるのに。
顔を見せないのは隠せる自信がないからか……?
「……薬は早めに飲んだほうがいいんじゃない?」
自販機ならそこにある。視線を移せばミネラルウォーターが目に入った。
すると、少し体の向きを変えた彼女が、
「本当に違うので……大丈夫です」
と、なんとも言えない表情で口にした。
彼女の家まではあと十五分かからないくらいだろう。
ならばこのまま出るか……。
途中にコンビニもいくつかあるから、水はどこでも調達できる。
そこまで考えてから車を出した。