光のもとでⅠ

09

 栞さんの家を出ると、隣の家の玄関ポーチを開けててドアの前に立つ。
 栞さんの家に帰ってきたときは躊躇なくインターホンを押せたけど、今度はちょっと指が震える。
 緊張しながらインターホンを押すと、内側からドアが開かれた。
「いらっしゃい」
 中に招き入れられた瞬間に秋斗さんの携帯が鳴りだす。
 どうやらメールらしく、ディスプレイを見て苦笑した。
 なんだろう、と思っていると、
「なんでもないよ。さ、奥へどうぞ」
 部屋の作りは栞さんの家と左右対称になっている。
 栞さんの家ではお風呂が廊下の右側にあるのに対し、秋斗さんの家は左側。
 私の使っている客間は玄関を入ってすぐの左側だけど、それらしき部屋は右側にある。
 あ、湊先生の家と同じ作りなんだ……。
 玄関から伸びる廊下のフローリングは落ち着いたこげ茶だからオーク素材かな。
 廊下を歩いていくと、左側にキッチンとダイニング、右側にリビングが広がっていた。
 壁は白くて、リビングも白と茶色で統一されていた。
 まるでホテルの一室のような印象。
 リビングの窓際には観葉植物のベンジャミン。
 私の部屋と同じ……。
 そんなことが少し嬉しく思えた。
 強いて言うなら、うちの子のほうが少し年上かな、と思う。
「どうかした?」
「いえ……うちのベンジャミンのほうが年上かな、と思っただけです」
「あぁ、あれは引越し祝いに司がくれたんだ。もう六年ちょっと前になるかな」
 やっぱりうちの子のほうが年上だ。
 ベンジャミンの足元には和紙でできた丸いものが置いてある。不思議に思って近づくと、中には電球が入っていた。
 ランプ……?
 ダイニングにはガラス製のダイニングテーブルと、スチール素材の無機質な椅子。
 ダイニングとリビングは大きなオフホワイトのソファで仕切られていた。
 足元には毛足の長いオフホワイトのラグが敷いてあり、クッションは床と同じ濃いブラウンがふたつ。カーテンも同色のものだった。
 リビングテーブルも天板がガラスのもの。ソファと向かい合うようにして壁際にテレビが設置されている。テレビの両脇とソファの両脇にスピーカーがふたつずつ。そしてセンタースピーカー……ともなればウーハーはどこにあるのだろう。
 ウーハーを探してきょろきょろしていると、
「ウーハーは今修理に出しているところ」
 と、後ろから秋斗さんに声をかけられた。
 びっくりして振り返ると、
「本当に見てて飽きないな」
 と、秋斗さんは表情を崩した。
「初めて図書室に入ったときも仕事部屋に入ったときも今と同じだったよね」
 思い出してみると、確かに同じようなことをしていた気がしなくもない。
「インテリアや建物のつくりを見るのが好きなんだ?」
 ソファ近くの壁に寄りかかり、訊かれる。
「好き、です。とくに意識して見ているわけじゃないんですけど、気がつくと見てる感じで……」
「ここのご感想は?」
「私の好きな色ばかり。白と緑と茶色が周りにあると落ち着きます」
「そういうのあるよね。翠葉ちゃんの部屋もナチュラルカラーにまとめられてあるし……」
「あれは私が整えたわけじゃなくて、全部蒼兄が用意してくれたもので……。なんというか、自分の手を加えようがないほどにツボなんです」
「わかる気がするな。俺も今の仕事部屋はかなり居心地がいい」
 蒼兄に教えてあげたら喜びそうなコメントだった。
 ダイニングの証明はダクトレールに吊るされたペンダントライトが三つ。リビングは部屋のいたるところに間接照明が設置されていた。
「――目が疲れないように?」
「照明のことかな?」
「あ、はい。なんだか間接照明に重点が置かれている気がして……」
「普段パソコンで目を酷使してるからね。パソコンから離れているときくらいは目を労わろうかと思って」
 そう言うと、クスリと笑った。
「それにDVD観賞をするときも真っ暗にするよりは間接照明が多少ついているほうがいいし、寝る前には蛍光灯よりも白熱灯のほうが脳の興奮を抑えてくれる」
 あ……だから常夜灯はオレンジの光なのかな?
 お部屋の観察が終わる頃、インターホンが鳴った。
「デリバリーのご到着かな。翠葉ちゃん、そこら辺に適当に座っててね」
 そう言うと、秋斗さんは玄関へ向かった。
 言われたとおり、ラグに腰を下ろす。
 ローテブルには、さっきまで秋斗さんがかけていたサングラスが無造作に置いてあった。
 それを手に取り、レンズの向こうを覗いてみる。
「わ……世界がセピア色――」
 この感じは……。
「フィルター、かな?」
 セピア色の世界と色彩豊かな世界を交互に見ていると、後ろから笑い声が聞こえてきた。
 振り返ると秋斗さんが笑っているわけで、
「勝手にすみません……」
「いいよ。それにしても、セピア色のフィルターとは翠葉ちゃんらしい発想だね」
 秋斗さんは私の隣に座って一緒にサングラスを見ている。
 あれ……? そういえばデリバリーって……?
 秋斗さんは何も手にしていないし、リビングテーブルにも何も乗っていない。
 秋斗さんに尋ねようとした瞬間、背後から音が聞こえてきてびっくりした。
「シェフがキッチンで用意してくれるんだ」
「え……?」
 振り返り、キッチンカウンターの向こうを見ると、白い服を着た人が立っていた。
「彼がこの間のディナーを作ってくれた人だよ」
「そうなんですかっ!?」
「翠葉ちゃんが料理を気に入ってくれたみたいだから、今日もお願いして来てもらったんだ」
「挨拶、してきてもいいですか?」
「どうぞ」
 ゆっくりと立ち上がり、キッチンカウンターの前まで行く。と、カウンター内には三十代くらいの男の人が立っていた。
 私に気づくと、「もうしばらくお待ちくださいね」と言われる。
「あのっ、先日は美味しいディナーをありがとうございました。とても美味しかったです」
 初めて会う人にお礼を述べるのはどこから話したらいいのかがわからなくて困る。
 結局、自己紹介も何もなく、すっ飛ばしてお礼を言うことになってしまった。
 男の人は面食らったようで、一瞬表情が固まったものの、
「喜んでいただけて何よりです」
 と、にこりと笑ってくれた。
 気づけば隣に秋斗さんが立っていて、
「彼は須藤晴彦(すどうはるひこ)さん」
 と、教えてくれる。
「須藤さん、彼女が御園生翠葉ちゃん」
 と、私の紹介までしてくれ、そこでやっと「御園生翠葉です」と名乗ることができた。
「須藤晴彦と申します。これからもお嬢様のお料理を担当するようにとオーナーから直々に申し付かっておりますので、どうぞお任せください」
 と、頭を下げられた。

 しばらくは料理をする須藤さんの手元を眺めていた。
 ほとんどのものが料理し終えているもので、温めなおしたりお皿に盛りつけるだけだった。
 盛り付けられたお皿は途端に芸術品のように見えてくるからすごい。
 こういうのはやっぱりセンスが問われるのだろう。
「翠葉ちゃん」
 後ろから秋斗さんに呼ばれた。
 ソファまで行くと、ローテーブルの上にラッピングされた箱が置いてあった。
「誕生日プレゼント」
 言われて目を瞠る。
「秋斗さん、もうこれもらってますっ」
 バングルを指差すと、
「だって、それを渡してからもう一ヶ月も経ったんだよ?」
 もっともらしく口にされたけど、全然言い訳にはならないと思う。
「とにかくプレゼントだから」
 と、手に持たされる。
「開けてみて? これから何度でも使ってもらえると思う」
「ありがとうございます……」
 ラグに座り、膝の上で包みを開ける。と、きれいな宝石箱のような入れ物が出てきた。
 ドキドキしながら入れ物の蓋を開けると、
「……髪飾り?」
「正解。これからドレスアップすることも多くなるだろうから、そのときに使ってもらえたら嬉しい」
 入れ物の中には銀色の髪飾りが入っていた。
 ひとつはコーム状のもの。もうひとつは少し大ぶりのバレッタ。
 どちらもバングルと同じ曲線を描くデザインで、緑の石とダイヤのような石がたくさん埋め込まれていた。
 ふと不安に思う。
「――とってもきれいなのですが……」
「なんだろう?」
「……この石、本物だったりしませんよね?」
 引きつり笑いで尋ねると、
「まさか、イミテーションを使うわけがないでしょう?」
 ……ということは、ダイヤとエメラルド――でしょうか。
 手に持っているものが途端に重く感じた。
「あの……これは受け取れません」
「……どうして?」
「どうしてって――」
 秋斗さんは心底不思議そうな顔をしていた。
 今まで秋斗さんがお付き合いしてきた人はいつもこんなプレゼントをされていたのだろうか。
「理由は?」
 理由は――。
「私の身の丈にそぐわないからです」
 ため息と共に答える。と、
「翠葉ちゃんて謙虚だよね」
「謙虚とかそういうことじゃなくて――」
 説明の言葉に詰まると一気に脱力してしまう。
 価値観が違うのか――それとも年が離れいてるからなのか。
 こういう贈り物は秋斗さんたちの年だと普通に贈り贈られるものなのだろうか。
 そんなことを考えたところで、しょせん十七歳になったばかりの私にはわからない話だ。
「困ったな……。それ、翠葉ちゃんが使ってくれないと誰にも使ってもらえなくなっちゃうんだけど……」
 秋斗さんが入れ物に視線を落とす。
「箪笥の肥やしにするしかないかなぁ……。ま、もらって困るものを押し付けるのもあれだし、仕方ない。クローゼットの奥にでもしまうか」
 と、ソファから立ち上がる。
 その姿が哀愁をプンプンと漂わせていて、声をかけずにはいられなかった。
「秋斗さんっ」
 秋斗さんは、「ん?」と私を見下ろす。
「…………ごめんなさいっ、いただきますっ。使わせていただきますっ――」
 ぎゅ、と目を瞑って秋斗さんを引き止めると、
「くっ……最初からそう言ってくれたら良かったのに。でも、"ごめんなさい"じゃなくて、"ありがとう"って言ってほしいかな」
 いたずらっぽく笑われて、自分がトラップか何かに引っかかった気分になる。
 渋々、「ありがとうございます」と口にすると、少し遠くから笑いを堪えているような声が聞こえてきた。
「秋斗様、ランチのご用意ができました」
 少々不自然な調子で須藤さんが口にしたのだ。
「ありがとうございます」
 笑顔で答える秋斗さんは、須藤さんの様子を見て、
「別に笑いたかったら笑ってもらってかまいませんよ」
 須藤さんは最初のうちは堪えていたけれど、しばらくすると「すみません」と断ってくつくつと笑いだした。
 秋斗さんも須藤さんもひどい……。
「さ、せっかくあたためなおしてくれたんだ。冷める前にいただこう」
 秋斗さんに声をかけられダイニングに着く。
「それでは、私はこれでお暇させていただきます」
 須藤さんがダイニングと廊下の間で頭を下げた。
「あ、お見送り……」
 立ち上がろうとしたら、須藤さんがそれを制された。
「お礼はさきほどいただきました」
「翠葉ちゃん、できたての料理をいただくことがシェフへの礼儀だよ」
「……それじゃ、お見送りじゃなくていただくべき……?」
 須藤さんはにっこりと微笑み、廊下の先へと見えなくなった。
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