光のもとでⅠ
栞ちゃんのせいでしそびれたキスをしに戻ると、寝室では横になった彼女がいた。
倒れているのかと少しひやっとしたけれど、彼女から聞こえてくるのは規則正しい寝息だった。
顔を覗き込めば実際に寝ているわけで……。
「嘘だろ……?」
色んなことに「嘘だろ?」と言いたい。
まず、好きな男の寝室で無防備に寝てしまうこと。次に、ついさっきまで甘いキスをしようとしていたのに、たった数分で熟睡していること。
「くっ……」
あり得ない……。
「あーぁ、また据え膳か」
彼女の頬を軽くツンツンしてみるものの、起きる気配はない。
パレスでの森林浴を思い出した。
あのときも、俺の隣でこんなふうに無防備に寝てたっけ……。
でも、あのときは俺を好きだと思っていなかったからできたことだと思っていた。
今は……? それだけ、俺に気を許してくれてると取ってもいいのだろうか。
……なら、手を出すなんてマネはできない。彼女の意思に反することなどできるわけがない。
起きないように彼女を抱え、枕に頭を乗せてあげる。
相変らず軽いな……。
横になれば重力に逆らうことなく洋服も体の線に沿う。脇から腰にかけてのライン、腰からヒップにかけてのライン。それぞれがきれいな曲線を描く。
本当はすぐにでも抱きたいよ。
何も纏っていない君を見たいと思うし、触れたいと思う。
どこが感じるのか、どんな声を出すのか……。
きっと、それはとてつもなく甘美な声に聞こえるだろう。
そんなことを想像しながら彼女の隣に横になると、自然と睡魔が訪れた。
ピンポーンっ、ピンピンピンポーンっ――。
心地よい眠りを邪魔するのはインターホン。
まだはっきりしない頭でサイドテーブルの時計を見ると五時半を指していた。
げっ……。これって栞ちゃんだったりするっ!?
慌てて頭に手櫛を通し、玄関へ向かう。
ドアを開けると角を生やした栞ちゃんが立っていた。
「秋斗くん、何ちゃっかりと固定電話の線抜いてるのかしら?」
寸分の隙もない笑顔で詰め寄られる。
「とにかく上がらせてもらうわっ」
有無を言わさず上がりこみ、真っ直ぐ寝室へと向かう。ベッドの上に翠葉ちゃんの姿を確認すると、
「ちょっとっ! 何してるのよっ」
と、小声で怒鳴られた。
彼女に聞かすまい、起こすまい、という行動の現われだろう。
「いやぁ、何もかも……栞ちゃんの電話を切って戻ってみたら寝てた。ほら、あそこにアルバム置いてあるでしょ?」
と、ベッドの端に置いてあるそれらを指す。
「寝室で見せることないでしょっ!?」
「あはははは……」
「指一本触れてないでしょうねっ!?」
「指十本と腕二本で触れさせていただきました」
「秋斗くんっ!?」
怖……。昇(しょう)さん、よく栞ちゃんと結婚したよな……。
ふと海外に行っている栞ちゃんの旦那さんを思い出す。
「アルバムの上に寝てたから、今の位置に直しただけ。本当にそれだけ」
両手を上げて降参ポーズまでとってみる。と、
「秋斗くん、信じてるわよ?」
にこりと笑うと、彼女に歩み寄る。俺はドア口で待機。
「翠葉ちゃん」
と、ぐっすりと眠っている彼女に優しく声をかける。俺に向けられた声音とは雲泥の差。
「ん……」
と、少し鼻にかかる声すら甘く聞こえる。
「ね? 寝てるでしょ?」
栞ちゃんは確かに、といった顔をした。
彼女が起きたのか、
「おはよう。夕方になっても帰ってこないから心配で迎えにきちゃったわ」
抑揚ある話方すらが恐ろしい。
「え? 夕方? ……今、何時でしょう?」
「五時半」
「私、寝てましたっ!?」
ガバリ、と起き上がった彼女が突如傾ぐ。それを栞ちゃんが受け止めた。
「ベッドの上で良かったわ……」
同感……。
「ごめんなさい……」
「翠葉ちゃん、危険な狼さんの寝室なんて、一番危ないお部屋に無防備に入り込んじゃだめよ?」
諭されている彼女は意味がわからないようだ。
「襲われたらどうするの?」
いや、確かにそれはそのとおりだし、俺もいつか忠告しようと思ってはいたけど、それは自分がものにしてから……と決めていたのに――。
「あのっ、でもっ、そういうことしないって言ってくれたし――」
言いながら視線が宙を彷徨う。
あぁ、確かにそんな約束をした。約束を破るつもりはないけど、自分を抑えられる自信もない。
どうしたものかな……。
「そんなの口だけかもしれないでしょ? 口先だけの男なんてごまんといるのよ」
「栞ちゃんひどいなぁ……。まるで俺がその中に入るみたいな言い方。現に手ぇ出してないでしょ?」
「当たり前よっ」
と、一喝された。栞ちゃんは彼女に向き直り、
「さ、帰りましょ? うちで誕生会の準備もしてあるし、海斗くんや司くん、湊や蒼くんも揃ってるわ。……なんなら秋斗くんも来る?」
いや、今日は遠慮しておく。だって、そこには蒼樹がいるわけで、詰め寄られるの確実だし……。
俺の側まで来た彼女が、
「秋斗さん、ごめんなさい」
「気にしなくていいよ。俺も隣で休んでたし」
「ちょっと翠葉ちゃん聞いてよ。秋斗くんったら携帯の電源は落とすし、固定電話の元線を引き抜くは……。本当にどうしようもない人なんだからっ」
彼女は栞ちゃんに背中を押されるようにして部屋を出ていった。玄関に向かう彼女をリビングから見送っていると、ダイニングの椅子に彼女の持ってきたバッグが置いてあった。
それを手に取ると、彼女が玄関から引き返してくるところだった。
「ありがとうございます。あと、寝てしまってごめんなさい……」
すごく申し訳なさそうに謝られる。
「本当に気にしないで? 俺は少し嬉しかったから」
「え……?」
「眠れちゃうって、それくらい気を許してくれている証拠でしょ?」
俺が望む返事はなかなか返ってこない。でも、否定はされたくなかったから、
「ほらほら、また栞ちゃんに一喝されちゃうから」
と、彼女の背を押した。
自分の側で寝てくれるだけで、こんなにも幸せな気持ちになれるとは思わなかった。
正直、寝顔を見るだけじゃ満足なんてできないし、抱きしめてキスするだけという状況にいつまで耐えられるかもわからない。
でも、君を好きだと思う気持ちも、大切にしたいと思う気持ちも、どこにも嘘はないんだ。
だから、いつかは"気"だけじゃなくて、すべてを許してほしい――。
倒れているのかと少しひやっとしたけれど、彼女から聞こえてくるのは規則正しい寝息だった。
顔を覗き込めば実際に寝ているわけで……。
「嘘だろ……?」
色んなことに「嘘だろ?」と言いたい。
まず、好きな男の寝室で無防備に寝てしまうこと。次に、ついさっきまで甘いキスをしようとしていたのに、たった数分で熟睡していること。
「くっ……」
あり得ない……。
「あーぁ、また据え膳か」
彼女の頬を軽くツンツンしてみるものの、起きる気配はない。
パレスでの森林浴を思い出した。
あのときも、俺の隣でこんなふうに無防備に寝てたっけ……。
でも、あのときは俺を好きだと思っていなかったからできたことだと思っていた。
今は……? それだけ、俺に気を許してくれてると取ってもいいのだろうか。
……なら、手を出すなんてマネはできない。彼女の意思に反することなどできるわけがない。
起きないように彼女を抱え、枕に頭を乗せてあげる。
相変らず軽いな……。
横になれば重力に逆らうことなく洋服も体の線に沿う。脇から腰にかけてのライン、腰からヒップにかけてのライン。それぞれがきれいな曲線を描く。
本当はすぐにでも抱きたいよ。
何も纏っていない君を見たいと思うし、触れたいと思う。
どこが感じるのか、どんな声を出すのか……。
きっと、それはとてつもなく甘美な声に聞こえるだろう。
そんなことを想像しながら彼女の隣に横になると、自然と睡魔が訪れた。
ピンポーンっ、ピンピンピンポーンっ――。
心地よい眠りを邪魔するのはインターホン。
まだはっきりしない頭でサイドテーブルの時計を見ると五時半を指していた。
げっ……。これって栞ちゃんだったりするっ!?
慌てて頭に手櫛を通し、玄関へ向かう。
ドアを開けると角を生やした栞ちゃんが立っていた。
「秋斗くん、何ちゃっかりと固定電話の線抜いてるのかしら?」
寸分の隙もない笑顔で詰め寄られる。
「とにかく上がらせてもらうわっ」
有無を言わさず上がりこみ、真っ直ぐ寝室へと向かう。ベッドの上に翠葉ちゃんの姿を確認すると、
「ちょっとっ! 何してるのよっ」
と、小声で怒鳴られた。
彼女に聞かすまい、起こすまい、という行動の現われだろう。
「いやぁ、何もかも……栞ちゃんの電話を切って戻ってみたら寝てた。ほら、あそこにアルバム置いてあるでしょ?」
と、ベッドの端に置いてあるそれらを指す。
「寝室で見せることないでしょっ!?」
「あはははは……」
「指一本触れてないでしょうねっ!?」
「指十本と腕二本で触れさせていただきました」
「秋斗くんっ!?」
怖……。昇(しょう)さん、よく栞ちゃんと結婚したよな……。
ふと海外に行っている栞ちゃんの旦那さんを思い出す。
「アルバムの上に寝てたから、今の位置に直しただけ。本当にそれだけ」
両手を上げて降参ポーズまでとってみる。と、
「秋斗くん、信じてるわよ?」
にこりと笑うと、彼女に歩み寄る。俺はドア口で待機。
「翠葉ちゃん」
と、ぐっすりと眠っている彼女に優しく声をかける。俺に向けられた声音とは雲泥の差。
「ん……」
と、少し鼻にかかる声すら甘く聞こえる。
「ね? 寝てるでしょ?」
栞ちゃんは確かに、といった顔をした。
彼女が起きたのか、
「おはよう。夕方になっても帰ってこないから心配で迎えにきちゃったわ」
抑揚ある話方すらが恐ろしい。
「え? 夕方? ……今、何時でしょう?」
「五時半」
「私、寝てましたっ!?」
ガバリ、と起き上がった彼女が突如傾ぐ。それを栞ちゃんが受け止めた。
「ベッドの上で良かったわ……」
同感……。
「ごめんなさい……」
「翠葉ちゃん、危険な狼さんの寝室なんて、一番危ないお部屋に無防備に入り込んじゃだめよ?」
諭されている彼女は意味がわからないようだ。
「襲われたらどうするの?」
いや、確かにそれはそのとおりだし、俺もいつか忠告しようと思ってはいたけど、それは自分がものにしてから……と決めていたのに――。
「あのっ、でもっ、そういうことしないって言ってくれたし――」
言いながら視線が宙を彷徨う。
あぁ、確かにそんな約束をした。約束を破るつもりはないけど、自分を抑えられる自信もない。
どうしたものかな……。
「そんなの口だけかもしれないでしょ? 口先だけの男なんてごまんといるのよ」
「栞ちゃんひどいなぁ……。まるで俺がその中に入るみたいな言い方。現に手ぇ出してないでしょ?」
「当たり前よっ」
と、一喝された。栞ちゃんは彼女に向き直り、
「さ、帰りましょ? うちで誕生会の準備もしてあるし、海斗くんや司くん、湊や蒼くんも揃ってるわ。……なんなら秋斗くんも来る?」
いや、今日は遠慮しておく。だって、そこには蒼樹がいるわけで、詰め寄られるの確実だし……。
俺の側まで来た彼女が、
「秋斗さん、ごめんなさい」
「気にしなくていいよ。俺も隣で休んでたし」
「ちょっと翠葉ちゃん聞いてよ。秋斗くんったら携帯の電源は落とすし、固定電話の元線を引き抜くは……。本当にどうしようもない人なんだからっ」
彼女は栞ちゃんに背中を押されるようにして部屋を出ていった。玄関に向かう彼女をリビングから見送っていると、ダイニングの椅子に彼女の持ってきたバッグが置いてあった。
それを手に取ると、彼女が玄関から引き返してくるところだった。
「ありがとうございます。あと、寝てしまってごめんなさい……」
すごく申し訳なさそうに謝られる。
「本当に気にしないで? 俺は少し嬉しかったから」
「え……?」
「眠れちゃうって、それくらい気を許してくれている証拠でしょ?」
俺が望む返事はなかなか返ってこない。でも、否定はされたくなかったから、
「ほらほら、また栞ちゃんに一喝されちゃうから」
と、彼女の背を押した。
自分の側で寝てくれるだけで、こんなにも幸せな気持ちになれるとは思わなかった。
正直、寝顔を見るだけじゃ満足なんてできないし、抱きしめてキスするだけという状況にいつまで耐えられるかもわからない。
でも、君を好きだと思う気持ちも、大切にしたいと思う気持ちも、どこにも嘘はないんだ。
だから、いつかは"気"だけじゃなくて、すべてを許してほしい――。