光のもとでⅠ
カーステから流れてきたのはDIMENSIONの"Key"というアルバム。
以前私が好きと話したアルバム。
あれ……?
「秋斗さん……」
「うん、わかってる。ちょっと決めかねててね」
車は藤宮学園の周りを一周して、さっき出てきたマンションの前まで戻ってきてしまったのだ。
「行き先、ですか?」
隣を見ると、「そう」と答える。
ちら、と私を見て、
「やっぱり人には見せたくないな」
と、学校の私道へと入った。
「学校、ですか?」
「いや、その裏山に祖母が好きだった散策ルートがあるんだ」
確か、湊先生と病院へ行くときに、車の中でそんな話を聞いた気がする。
どの季節に行っても季節折々の花が咲いている、と――。
「今の季節ならノウゼンカズラや紫陽花、栗の花やざくろの花、百合もところどころに咲いてる。普通に見て回るだけでも二時間くらいは楽しめるんじゃないかな」
今日は四センチのヒールだけれど大丈夫かな……。
足元に視線を落として不安になる。
「翠葉ちゃん、大丈夫。道はきちんと舗装されているし、ところどころにベンチもあるから」
「……良かったです」
学校と病院をつなぐ私有地に入り、二本目の横道を左折した。すると、桜香庵のような小さな庵が建っていた。
その前には駐車スペースが三台分。今は二台の車が停まっている。
「ちょっと待ってて。中に入る許可だけ取ってくるから」
そう言って秋斗さんは車を降りた。
管理人さんでもいるのかな……。
秋斗さんは五分ほどして手に水筒を持って出てきた。
「さ、行こうか」
「はい」
目に付いた赤い水筒を不思議に思っていると、
「コーヒー好きのじーさんでね、持っていけって言われた。でも、翠葉ちゃんは飲めないね」
「私はいつもミネラルウォーターを持っているので大丈夫です」
「中にも自販機はあるんだ」
この山奥に自販機とは――業者さんは大変だろうな。
道は緩やかな傾斜で軽トラックが通れるくらいの幅。
その道を、私と秋斗さんは間に一人分ほどのスペースを空けて歩いていた。
このくらいの"近く"なら大丈夫みたい。
歩き始めてすぐ、瑞々しい紫陽花に迎えられた。
紫陽花で有名な通りやお寺に引けを取らないほどの紫陽花が植わっている。
「……秋斗さんは何色の紫陽花が好きですか?」
「そうだな、ブルーかな?」
「私もです。でも、蕾のときのほんのり色づいているアイボリーの色も好き。紫も好きだけど、紫なら藤のお花が好きです」
「あぁ、あの淡い色はきれいだよね。この山は五月になると一斉に藤が咲き誇るんだ」
「だから藤山?」
「そう」
こんなふうに、目にしたものをそのまま話す会話が好きだと思う。
自分を飾ることなく話せて楽しめて、ただそれだけで幸せだったのに――。
「今日、カメラは持ってきてないんだね?」
不思議そうに尋ねられた。
「はい……。今日はたくさんお話しをしたかったから」
だからカメラは持ってきていない。
撮りたいものはたくさんある。でも、それに時間を使うのがもったいない。
「ここに植えてあるものはすべて祖父が自分の手で植えたものなんだ。ここは祖母のためだけに作られた場所。だから、今でもここに入るためには祖父の許可がいる。手入れには業者も入れているけど、祖母が亡くなってからはそれに混じって祖父も一緒に植物の世話をするようになった」
じゃぁ、さっきの庵にいらしたのはおじい様……?
あ、れ……? おじい様って確か藤宮財閥の会長じゃ――。
……なるほど、と思わなくもない。
これだけの植物の世話をしながらあの会長室で仕事をするのは難しいだろう。ゆえに、静さんがあそこにいて、電話で指示が飛んでくるのだ。
ほんの少し裏事情がわかって笑みがもれる。
でも、すてきなお話。
きっとここに植えてある植物はおばあ様の好きなお花だったのだろう。
どの子も元気で葉が生き生きとしているのがわかる。
「愛されてるんですね……」
するりと出てきた言葉。
その言葉以外に相応しい言葉はないと思った。
「そうだね。山も祖母も――俺もそのくらい翠葉ちゃんを愛しているんだけどな」
「っ……!? ――秋斗さん、どうしてそういうことがさらっと言えるんですか?」
顔がじわりじわりと熱くなる。
だって、「愛してる」なんて言葉は生まれて初めて言われたの。びっくりするなんて、そんな域の話じゃない。
「思ったことをそのまま口にするのって、そんな難しいことじゃないと思うよ? それに、赤くなった翠葉ちゃんを見て安心してたりするんだ」
「……意地悪です」
「だって嬉しいと思っちゃうんだ」
絶対に私よりも秋斗さんのほうが意地悪だと思う。
秋斗さんがたじろいだのなんて一瞬で、私はいつだって秋斗さんの言葉に戸惑ってる。
視線を落としていたら目に入ったのは秋斗さんの手だった。
手、つなぎたい……。
今日もだめなんだろうか。でも、今日まで……なんだけどな。
ひとり分のスペースを空けて歩く秋斗さんを見ると、とても穏やかな表情でのびのびと歩いている気がした。
もしかしたらここへ来るのは久しぶりなのかもしれない。
何かを懐かしむように周の植物に視線をめぐらせているように見えた。
思いを馳せる――そんな言葉がしっくりくる。
私は、そんな秋斗さんの表情を変えるような言葉を口にした。
「……秋斗さん、もう一度だけ――もう一度だけチャンスをください。手、つなぎたいです」
以前私が好きと話したアルバム。
あれ……?
「秋斗さん……」
「うん、わかってる。ちょっと決めかねててね」
車は藤宮学園の周りを一周して、さっき出てきたマンションの前まで戻ってきてしまったのだ。
「行き先、ですか?」
隣を見ると、「そう」と答える。
ちら、と私を見て、
「やっぱり人には見せたくないな」
と、学校の私道へと入った。
「学校、ですか?」
「いや、その裏山に祖母が好きだった散策ルートがあるんだ」
確か、湊先生と病院へ行くときに、車の中でそんな話を聞いた気がする。
どの季節に行っても季節折々の花が咲いている、と――。
「今の季節ならノウゼンカズラや紫陽花、栗の花やざくろの花、百合もところどころに咲いてる。普通に見て回るだけでも二時間くらいは楽しめるんじゃないかな」
今日は四センチのヒールだけれど大丈夫かな……。
足元に視線を落として不安になる。
「翠葉ちゃん、大丈夫。道はきちんと舗装されているし、ところどころにベンチもあるから」
「……良かったです」
学校と病院をつなぐ私有地に入り、二本目の横道を左折した。すると、桜香庵のような小さな庵が建っていた。
その前には駐車スペースが三台分。今は二台の車が停まっている。
「ちょっと待ってて。中に入る許可だけ取ってくるから」
そう言って秋斗さんは車を降りた。
管理人さんでもいるのかな……。
秋斗さんは五分ほどして手に水筒を持って出てきた。
「さ、行こうか」
「はい」
目に付いた赤い水筒を不思議に思っていると、
「コーヒー好きのじーさんでね、持っていけって言われた。でも、翠葉ちゃんは飲めないね」
「私はいつもミネラルウォーターを持っているので大丈夫です」
「中にも自販機はあるんだ」
この山奥に自販機とは――業者さんは大変だろうな。
道は緩やかな傾斜で軽トラックが通れるくらいの幅。
その道を、私と秋斗さんは間に一人分ほどのスペースを空けて歩いていた。
このくらいの"近く"なら大丈夫みたい。
歩き始めてすぐ、瑞々しい紫陽花に迎えられた。
紫陽花で有名な通りやお寺に引けを取らないほどの紫陽花が植わっている。
「……秋斗さんは何色の紫陽花が好きですか?」
「そうだな、ブルーかな?」
「私もです。でも、蕾のときのほんのり色づいているアイボリーの色も好き。紫も好きだけど、紫なら藤のお花が好きです」
「あぁ、あの淡い色はきれいだよね。この山は五月になると一斉に藤が咲き誇るんだ」
「だから藤山?」
「そう」
こんなふうに、目にしたものをそのまま話す会話が好きだと思う。
自分を飾ることなく話せて楽しめて、ただそれだけで幸せだったのに――。
「今日、カメラは持ってきてないんだね?」
不思議そうに尋ねられた。
「はい……。今日はたくさんお話しをしたかったから」
だからカメラは持ってきていない。
撮りたいものはたくさんある。でも、それに時間を使うのがもったいない。
「ここに植えてあるものはすべて祖父が自分の手で植えたものなんだ。ここは祖母のためだけに作られた場所。だから、今でもここに入るためには祖父の許可がいる。手入れには業者も入れているけど、祖母が亡くなってからはそれに混じって祖父も一緒に植物の世話をするようになった」
じゃぁ、さっきの庵にいらしたのはおじい様……?
あ、れ……? おじい様って確か藤宮財閥の会長じゃ――。
……なるほど、と思わなくもない。
これだけの植物の世話をしながらあの会長室で仕事をするのは難しいだろう。ゆえに、静さんがあそこにいて、電話で指示が飛んでくるのだ。
ほんの少し裏事情がわかって笑みがもれる。
でも、すてきなお話。
きっとここに植えてある植物はおばあ様の好きなお花だったのだろう。
どの子も元気で葉が生き生きとしているのがわかる。
「愛されてるんですね……」
するりと出てきた言葉。
その言葉以外に相応しい言葉はないと思った。
「そうだね。山も祖母も――俺もそのくらい翠葉ちゃんを愛しているんだけどな」
「っ……!? ――秋斗さん、どうしてそういうことがさらっと言えるんですか?」
顔がじわりじわりと熱くなる。
だって、「愛してる」なんて言葉は生まれて初めて言われたの。びっくりするなんて、そんな域の話じゃない。
「思ったことをそのまま口にするのって、そんな難しいことじゃないと思うよ? それに、赤くなった翠葉ちゃんを見て安心してたりするんだ」
「……意地悪です」
「だって嬉しいと思っちゃうんだ」
絶対に私よりも秋斗さんのほうが意地悪だと思う。
秋斗さんがたじろいだのなんて一瞬で、私はいつだって秋斗さんの言葉に戸惑ってる。
視線を落としていたら目に入ったのは秋斗さんの手だった。
手、つなぎたい……。
今日もだめなんだろうか。でも、今日まで……なんだけどな。
ひとり分のスペースを空けて歩く秋斗さんを見ると、とても穏やかな表情でのびのびと歩いている気がした。
もしかしたらここへ来るのは久しぶりなのかもしれない。
何かを懐かしむように周の植物に視線をめぐらせているように見えた。
思いを馳せる――そんな言葉がしっくりくる。
私は、そんな秋斗さんの表情を変えるような言葉を口にした。
「……秋斗さん、もう一度だけ――もう一度だけチャンスをください。手、つなぎたいです」